「見ぬ世の人を友とする」 ……ちかごろ「読書」時間が増えています。

イメージ 1

「見ぬ世の人」……と言うと、あの世のかたがたを指しそうですが、
もちろん、僕の場合は、今もご健在の「小説家」達も含まれますけど、

ただ、「小説」のジャンルとしては、

専ら、「★時代小説★」です。


◆ 最近、というか、ここ 二、三年、
官能ポルノも含めて 小説全般はもちろん、
社会科学に類するものから、
ノンフィクションに類するものまで、
大半が、「女性」の書いた文章ばかり。それを 選るようにして読んでいます。
と言うより、
「男の声は聞き飽きた!」とばかり、
男の文章には あまり触手が動きません、むしろ極力遠ざけている感じ。

それはどうしてかというと、

例えば 男の書いた「女性心理」は、
どこまで真実に迫っているのか、なんとなく 心もとない気がしまして。
せっかく生まれてきたからには
死ぬ前に、
この世の中の、「異なる見え方」も知りたくてね……。

無論、女性が書いたからと言って、女性「一般」の「本質的傾向」に迫ることができているかどうか。
(「セクハラ」の概念を理解できないのは、なにも男だけとは限らない。)

男が書いたから本質に迫れていない……などとも決して思っておりませんし、
そもそも、人類を「男・女」に 二分すること自体に疑義を持って居る自分ですので
そう単純に色分けしているわけではありません。

それに、
優れた作家の【洞察力】というものは、すごい!ものです。
(多分、当の作家ご本人も 気づかないまま)、
本質的な人物像を造形し、または えぐり取って見せてくれているのではないか
……と思うときがあります。

が、しかし、まぁ、
いわゆる「男」の見方は、どこまで行っても「男」の見方。
読みながら、
……あ、やっぱりこれは「男」の見方だ……と、しばしば思いますし、

逆に 女性が書いた「おんなの心」(「おとこの心」)には、
確かに
男の書いたものには見いだせない、
『え~?そんな女、(男、)本当に居るンかいな!?』と
一人の男(ぼく)の目から見ると 何か「不可思議な」受けとめ方(人間観)が
付随していたりするのも確かです。

◆ きわめて 大ざっぱに言ってしまうと、
たとえば
山本周五郎の描く「女」、
北原亞以子の描く「男」は、
(どちらも嫌いではないんだけれども……)
僕にとっては、影が薄い、現実感が希薄である、
イヤ、非現実的な気がしてならない……わけです。

しかし!
……少なくとも、
「その」女性作家さん個人の頭の中においては「真実」とか「理想」とかに類する
或るイメージが存在する、実在する!
ということは確かであるので、
ソレを【覗いてみている】、と言えばよいのでしょうか。

※ 女性に聞いてみたいです、
山本周五郎の描く「女」、お好きですか?