■
こんにちは。
YAHOOブログからの引っ越しを試みております。
獄中からの手紙
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
とにかく、私の思いを獄中から伝えたい。この体験を通じてわかったことは、個人の尊厳は憲法によって保証されているはずなのに 国家権力によって侵されている ということだ。私たちは憲法を堅持していると言えるのだろうか。私たちが民主主義制度の中に生きているならば、このように虐待されるはずがない。
この手紙を僕に託したのはウボンの社会運動グループ「チャックトンロップ(戦旗掲揚)」の会員である。このグループも赤シャツの統一戦線運動に参加した。彼女は自宅で逮捕され、5月24日から収容されている。容疑は非常事態宣言違反、騒乱、県庁焼き討ちである。5月19日午前10時ごろ、民主党(政府与党)事務所前で「政府の統治はよくない。我々は政府のバンコクでの暴力行使に反対するために来た。公共財は破壊しない」と演説した。それから県庁前の通りに行ったが、中には入っていない。庁内の車を燃やしたと疑われているが、外にいた。銃撃で倒れる人を見て、怖くなって逃げ、火災が起こる前に帰宅した。彼女はイギリスとタイの2つのパスポートを持つ。夫はイギリス人で、ロンドンに12年住んだことがある。裁判を傍聴した夫もタイの司法に呆れているという。13歳の男の子が一人いる。
午後の休憩の時も、廊下で彼女は僕に話しかけてきた。「政府は正しくない。ガバナンスが良くない。国民を虐げている。国民は権利と自由を有する。偏見を排し、民主主義、公正、平等が保障されれば、家庭、社会、国家に幸福がもたらされる。重要なのは憲法と法律だ。良い憲法であれば、国民の生活は安定する。国民が憲法の意味と内容を知らないことが問題だ。赤シャツ、黄シャツの対立は馬鹿げている。タイは悪い方向に向かっている。問題の出口を見つけるために団結し、知恵を絞らなければならない。私は民主主義を求め、却って投獄された。不幸である。法律が人を殺すのではなく、人を守るために行使されるように力になりたい。」…と。
裁判傍聴記。検察側証言:わからないが★推定だ。★物的証拠はない。(笑)
ウボンラーチャターニー大学教養学部東洋言語文学科講師
高橋勝幸
僕は被告の隣に座った。家族と支援者が約15人来ていた。証人席に警察中佐が着くと、僕の隣の女性被告は、「嘘つき。信用ならない」とつぶやいた。原告弁護士とのやりとりは声が小さくて聞き取れなかった。被告弁護士は流石、声が大きい。証人の警察官の声は相変わらず小さい。被告弁護士は、被告一人ずつの逮捕の経緯を追及した。今回は証拠写真の追及に終始したといってよいが、傍聴席からは写真がはっきり見えなかった。
[注3] 筆者は2010年7月22日に被告Oに刑務所でインタビューした。それによれば、彼女は5月19日午前10時ごろ、ウィトゥーン・ナームブット民主党国会議員事務所前で演説した。「政府の統治はよくない。我々は政府のバンコクでの暴力行使に反対するために来た」と。次に県庁前の通りに行ったが、中には入っていない。敷地内の車を燃やした容疑を受けているが、外にいた。銃撃で倒れる人を見て、怖くなって逃げた。火災が起こる前に帰宅したという。
裁判傍聴記。検察側証言:わからないが★推定だ。★物的証拠はない。(笑)
ウボンラーチャターニー大学教養学部東洋言語文学科講師
高橋勝幸
僕は被告の隣に座った。家族と支援者が約15人来ていた。証人席に警察中佐が着くと、僕の隣の女性被告は、「嘘つき。信用ならない」とつぶやいた。原告弁護士とのやりとりは声が小さくて聞き取れなかった。被告弁護士は流石、声が大きい。証人の警察官の声は相変わらず小さい。被告弁護士は、被告一人ずつの逮捕の経緯を追及した。今回は証拠写真の追及に終始したといってよいが、傍聴席からは写真がはっきり見えなかった。
[注3] 筆者は2010年7月22日に被告Oに刑務所でインタビューした。それによれば、彼女は5月19日午前10時ごろ、ウィトゥーン・ナームブット民主党国会議員事務所前で演説した。「政府の統治はよくない。我々は政府のバンコクでの暴力行使に反対するために来た」と。次に県庁前の通りに行ったが、中には入っていない。敷地内の車を燃やした容疑を受けているが、外にいた。銃撃で倒れる人を見て、怖くなって逃げた。火災が起こる前に帰宅したという。
タイ国ウボン県の赤シャツ「逮捕状」…その杜撰さ!
すなわち、①公共建造物放火(県庁焼き討ち)、②10人以上が暴力を使って騒動を起こした集会に参加(10人以上の政治集会)、③不動産不法侵入(武器を所持して県庁敷地に立入り)、④公務執行妨害、⑤公共物破損である。逮捕状は同年5月19日から★20年間有効とある。
ポスター番号25 この氏名不詳の女性に逮捕状j.232/2553が出された。
写真の後方の女性は既に逮捕され、県庁焼き討ち事件で現在、裁判所で審理が行なわれている。
拠写真からはっきり判別できるが、僕はこの女性とよく赤シャツの集会に参加していたので親しい。僕の教え子の伯母に当たり、12月15日の裁判には教え子の母親も傍聴に来ていた。
本人は主婦。ウボンの赤シャツ・グループの1つ「ノーポーチョー・ウボン」のメンバーである。
僕が以前に彼女と刑務所で面談したところ、5月19日は、サパシット病院に用事があり市内に出たところ、10時半頃、多数の兵士が出動するのを目撃したということだった。
…そこで彼女は県庁に行ってみた。夫が陸軍1等准尉なので、軍人の知り合いが多い。知り合いの陸軍大佐が県知事と一緒に庁舎前にいたので、「暴力を使わないでください」と掛け合った。
銃撃が庁舎2階からあり、彼女は逃げ出した。県庁が燃え出す前に帰宅した。
5月22日、郡警に逮捕状が出ている人の写真と名前を見に行って捕まった。
刑務所の寝食の状態が悪く、睡眠薬がないと眠れない。娘が心配で恋しいが、囚人服姿で子供に会いたくないという。保釈は未だ認められない。
★証拠写真はなく、国民証が指名手配に使われている。というのも、ウボンの赤シャツ・グループの1つ「タクシンを愛する人のグループ」の公然たるリーダーだからだろう。
彼は末期の癌を抱えながら、ウボン県等の赤シャツを指導した。5月19日の事件後、森に隠れていたが、資金面と病状の悪化から自首することになった。新聞やテレビでも取り上げられ、全国的に有名になった。まだ逮捕を恐れて姿を隠している赤シャツは少なくない。
記者とのインタビューで、「県庁の焼き討ちは赤シャツだけの仕業ではない。県庁舎の2階から炎が見えた。誰かが放火し、赤シャツに罪を擦り付けている。ビジネスマンや役人の間に近代的な庁舎を望む声があったのは広く知られている」と彼は話している[注1]。
★収容者は適切な捜査や証拠もなく逮捕され、拷問を受け、虚偽自白を強制され、抗弁する機会なしに投獄されていることがわかった。全国で422人が勾留されていたという。その多くが「★野次馬」であった。
暴力活動に関与していない人々がいわれのない容疑をかけられ、不適切な扱いを受けている。親族や弁護士との面会も難しく、保釈手続きも遅々として進まない[注2]。
異常な報道規制のもと、久方ぶりに タクシンの声が届いた。(引用)
2010年09月04日
タクシン元首相、国家・国民・王室を愛する者と認めてくれる者とのみ協議に応じる用意
国家の最重要人物との協議に応じる可能性に関して聞かれた同元首相は、
自分が望んでいるのは国家の平穏と和解実現だけであるとした上で、
自分を首相経験がある国家、国民、王室を愛するタイ人であると認めてくれる者なら誰とでも協議に応じる用意があるが、
人間の言葉しか話すことが出来ない自分としては、
トラやライオン、野牛やサイといった類との協議は遠慮させて貰いたいと語った。
また、現在のタイに関しては、
独裁が民主主義制度の中に入り込むと抜け出すのが難しく、クーデターから4年経った今でも独裁体制と民主主義体制が同居していてもおかしな話では無いとし、
依然独裁体制が民主主義制度の中に潜み、
政治家は生き残りと権力保持の為に自らを独裁者に売り飛ばし、
不正・汚職が蔓延るなど、依然政治に改善が見られていないと指摘した。
タイが4年前と同じ状況に戻ることはあり得るかとの質問に対しては、
確実にあり得るが、政治家が権力保持の為に民主主義の魂を独裁者に売り渡ている現在の状況下では多少の時間を要するだろうとし、
また元の状況に戻る為には、
国民が選挙権を行使し真の民主主義を選択することと、
政治家が魂を売りとぼすことをやめ真摯な姿勢で国民と向き合うことが必要であると指摘した。
仮に現在選挙が行われた場合に関しては、
民主主義発展の為の法改正に取り組ませる為に、国民に真の民主主義を追及する政党を選択する機会を与えることになるが、
現行の非民主的な選挙関連法下で行われるのは望ましくないとし、
負けが分かる状況下で政府が早期解散に応じるか疑問であると断った上で、
国民は、軍の息がかかった政治家や軍よりな連立政権を望んでおらず、
国民の為の民主的な政府、民主的な法制度を望んでいると語るに留めた。
また、プゥア・タイ党勝利後のクーデターの可能性に関しては、
全ての制度が指令者の為のものでは無く国家・国民の為のものであるべきであるとした上で、
仮にクーデターが起きても国民が順次立ち上がり 国民の手により司法や独立機関が是正されることになると指摘した。
更に、首相返り咲きの可能性に関しては、
公正と民主主義が確保されている限りは首相に返り咲く、返り咲かないかには関心が無いとしたが、
国民から多大な恩を受け国民に借りを負っている身としては、国民に何らかの形で恩返しをしなければならないが、
全ては国民が自分を支持することや、自分が国民の為に働くことを許してくれるかにかかっているとした
一方、クーデター発生を許したことに関しては、
情報当局の情報収集体制が最悪な状況にあった為クーデターを許してしまったが、もし当時自分が国内にいれば発生を許す事はなかったとし、また自分側にいた人物に裏切られたことに関しては特に思うことは無いとしたが、
ネーウィン・チットチョープ氏と再度行動を共にする可能性に関しては、政治家では無い失業者である立場として答えることが出来ないとし明言を避けた。
また、赤服軍団との関係に関しては、
政治的理想について話し合う関係にあったが、活動そのものには関与していなかったとした。
http://thaina.seesaa.net/article/161469544.html からの引用。