獄中からの手紙


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獄中からの手紙:
ウボンラーチャターニー中央刑務所の赤シャツ
高橋 勝幸
ウボンの刑務所に収容されている主婦(42歳)から手紙を預かった。拙ない訳だが紹介したい。
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他人に罪を着せること 山を見るが如く明らかなり
己に罪を着せること 一本の髪の毛を見る如し
 
他人の臭いは 我慢ならない
自分の臭いは 気にならない
                (名僧)
 
この詩はタイの今の状況を言い表している。国家は武器を用いて多数の国民を殺傷した。しかし、国民を傷つけた人々は投獄されない。
然るに、国民を殺傷させないために、国民に武力を行使する国家に反対するために集会に参加した純朴な人民は、却って起訴され、刑務所で身柄を拘束されている。これが民主主義制度であろうか。
国王を元首とする民主主義制度によれば、国民は国家行政に賛成であろうと反対であろうと政治的意見を表明する権利がある。これこそが民主主義制度ではなかろうか。    
しかし今国民はこのように人権を侵害されている。私たちはどうしたらいいのだろうか。私たちタイ人はこのような状況にあとどれくらい耐えればよいのだろうか。

とにかく、私の思いを獄中から伝えたい。この体験を通じてわかったことは、個人の尊厳は憲法によって保証されているはずなのに 国家権力によって侵されている ということだ。私たちは憲法を堅持していると言えるのだろうか。私たちが民主主義制度の中に生きているならば、このように虐待されるはずがない。

私は今回の経験を高くついた教訓としたい。政治改革のために役立てたい。そして、民主主義を発展させる糧としたい。次なる集会の規範としたい。
憲法にとって、国家権力から人権を守ることが最も重要な点である。
少しでもタイ人のためになればと思い、最後に詩を託したい。
 
いかなる国家も団結が無ければ
何をしようと益もない
国家が衰亡して  
個人に幸福があろうか
                 (ラーマ6世の詩)
 
団結なき国家に、発展はない。                      
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この手紙を僕に託したのはウボンの社会運動グループ「チャックトンロップ(戦旗掲揚)」の会員である。このグループも赤シャツの統一戦線運動に参加した。彼女は自宅で逮捕され、524日から収容されている。容疑は非常事態宣言違反、騒乱、県庁焼き討ちである。519日午前10時ごろ、民主党(政府与党)事務所前で「政府の統治はよくない。我々は政府のバンコクでの暴力行使に反対するために来た。公共財は破壊しない」と演説した。それから県庁前の通りに行ったが、中には入っていない。庁内の車を燃やしたと疑われているが、外にいた。銃撃で倒れる人を見て、怖くなって逃げ、火災が起こる前に帰宅した。彼女はイギリスとタイの2つのパスポートを持つ。夫はイギリス人で、ロンドンに12年住んだことがある。裁判を傍聴した夫もタイの司法に呆れているという。13歳の男の子が一人いる。

地方裁判所で、1215日の午後の審理が始まる前に、彼女は憲法は人権を保障していないのか。こんな国が他にあるか。出獄したら、自分の体験、人権状況を大学で講演したい」と僕に熱く語っていた。

午後の休憩の時も、廊下で彼女は僕に話しかけてきた。「政府は正しくない。ガバナンスが良くない。国民を虐げている。国民は権利と自由を有する。偏見を排し、民主主義、公正、平等が保障されれば、家庭、社会、国家に幸福がもたらされる。重要なのは憲法と法律だ。良い憲法であれば、国民の生活は安定する。国民が憲法の意味と内容を知らないことが問題だ。赤シャツ、黄シャツの対立は馬鹿げている。タイは悪い方向に向かっている。問題の出口を見つけるために団結し、知恵を絞らなければならない。私は民主主義を求め、却って投獄された。不幸である。法律が人を殺すのではなく、人を守るために行使されるように力になりたい。」…と。

原告証人の警察官も廊下で休んでいた。彼女が真実の証言を彼に求めたので、僕も、「助けてやってくれよ。刑務所暮らしは大変だぜ。食事はまずいし、自由はない。少しは良心があるんだろ」と声をかけた。警察官の耳には入ったはずだが、返答はなかった。

裁判傍聴記。検察側証言:わからないが★推定だ。★物的証拠はない。(笑)

タイの赤シャツ裁判傍聴記
    ウボンラーチャターニー県庁焼き討ち事件

ウボンラーチャターニー大学教養学部東洋言語文学科講師

高橋勝幸     


   20101215日(水)、ウボンラーチャターニー地方裁判所でウボンラーチャターニー県庁焼き討ち事件2010519日発生)の裁判を傍聴した。そこで感じたのは、もはや赤シャツうんぬんという問題ではないということである。
 これは人権、人道的問題だ。これが公正を期す裁判かと疑った。コメディを見ているようだった。
 証拠写真のいい加減さに被告弁護士が笑ってしまう。
 被告、傍聴者の嘲笑。裁判長もつられて失笑する。
 ついには証人台に立った警察官も苦笑を抑えることはできなかった。流石の警察官も取り調べの杜撰さを再確認した思いだろう。
 県庁焼き討ち事件の犯人に仕立て上げることができれば、赤シャツなら★誰でもよかったのだ。唯一笑わなかったのは原告弁護士だけである。
    
   
ウボンラーチャターニー地方裁判所>       <県庁焼け跡>


僕は収容されている赤シャツのお見舞いのために、その日、15食分の豚と鶏のバジル炒めを持って刑務所を訪ねた。食料を係りに預け、職員にお見舞いの許可を求めると、朝から裁判所に出頭しているという。人数も多い時に48人いたが、保釈などで21人に減った[1]。そこで、裁判所へ向かった。13時を過ぎていた。午後の裁判は13時半に始まる。
法廷を探していると、★足錠の鎖が擦れる音が聞こえてきた。赤シャツの被告が昼食から戻ってきたのだ。60歳以下の男性は足錠をかけられていた。
刑事事件1496/53。原告はウボンラーチャターニー県検察庁。被告はピチェート・ターブッダーをはじめ21人。うち女性は3人。容疑は★県庁焼き討ちだ。ウボンの赤シャツの最も重い容疑である。裁判は50回予定されている。20115月に結審する予定で、今回は2回目だ。複数の罪状の容疑(非常事態下の10人以上の政治集会参加、騒擾、公務執行妨害、武器所持と使用、不法侵入など)をかけられているため、県庁焼き討ちは最後になった格好だ。★それにしても無罪だったら、何と長い拘束であろうか。人権侵害も甚だしい。逮捕されてすでに7ヶ月が経過している。
審理が始まる前に、女性の被告と話した。「憲法は人権を保障していないのか。こんな国が他にあるのか。出獄したら、自分の体験、人権状況を大学で講演したい」と彼女は熱く語っていた。
  1340分に午後の裁判が開廷した。法廷には裁判官2人、書記官1人。原告弁護士1人、被告弁護士3人、被告弁護士の助手1人。証人は原告側から取調べに当たったノッパドン・チュアイブン警察中佐である。被告21人は傍聴席に座っていた。

  僕は被告の隣に座った。家族と支援者が約15人来ていた。証人席に警察中佐が着くと、僕の隣の女性被告は、「嘘つき。信用ならない」とつぶやいた。原告弁護士とのやりとりは声が小さくて聞き取れなかった。被告弁護士は流石、声が大きい。証人の警察官の声は相変わらず小さい。被告弁護士は、被告一人ずつの逮捕の経緯を追及した。今回は証拠写真の追及に終始したといってよいが、傍聴席からは写真がはっきり見えなかった。


被告弁護士1:証拠写真はどのように入手したのか。
証人:記者や役人から入手し、分析した。
被告弁護士1:写真はどこで撮ったものか。
証人:県庁敷地の内外だ。
被告弁護士1:油を撒き、点火している写真はあったのか[2]
証人:(僕は聞き取れなかった)
被告弁護士1:覆面をしている人もいた。どのように写真から被疑者を割り出したのか。
証人:証人が写真中の知っている人の名を提供した。それから逮捕状を請求した。
被告弁護士1:トヨタのピックアップを運転している被告の写真がある。★これが証拠写真になるのか。(笑い)
被告弁護士2:被告O民主党国会議員事務所前の写真が証拠になっている[3]。ここでは集会が行なわれ、タイヤが燃やされた。この写真はいつ撮られたものか。
証人:519日だ。
被告弁護士2:この写真は午前10時に撮影されたとの記録がある。スピーカーを積んだ車の前で演説している。★これは県庁焼き討ち事件の前だ。(県庁が燃えたのは午後2時頃)事件の前の写真をもって、県庁焼き討ちの容疑の逮捕状を請求できるのか。(笑い)
   演説を見たのか。
証人:見ていない。
被告弁護士2:演説の内容も知らないで、逮捕したことになる。この写真はどこだ。民主党議員事務所の前だ。(笑い)★県庁と関係のない写真。19日★午前の写真。
証人:事件から遡って、証拠として有効だと思われる。
被告弁護士2:現場にビンを握っている人がいたというが、誰かもわからない、その中味が油かもわからない。その確認は警察の任務だ。
証人:わからないが、★推定だ。★物的証拠はない。(笑い)
被告弁護士3証拠写真も逮捕状もない被告がいる。
証人:自首してきた。
被告弁護士3:被告が県庁の集会にいつ参加し、どこにいたかもわからない。呆れるばかりだ。証人はこのことをどう思うか。
証人:(本人、苦笑)


逮捕状の発行が人権侵害の防止になっていない。証拠写真のやり取りの中で、裁判長はときどき本人確認のために被告を起立させた。それは写真が不鮮明であるからだが、決まって、苦笑しながら識別できない旨述べた。1625、閉廷した。傍聴は被告を元気付ける。支援者は傍聴に参加し、裁判官、原告へ圧力をかけることも重要だ。首相にもこの滑稽な裁判をぜひ傍聴してもらいたいものだ。自分が加担している過ちがどれほど多くの無辜の人々に多大な苦難を与えているか気付くはずだ。


[1]  収容者については拙稿「非常事態宣言と大量検挙:ウボンラーチャターニー中央刑務所の赤シャツ」『タイ国情報』44435-54参照。
[2]  最重要証拠になるはずだが、警察は握っているというだけで公開していない。無い可能性もある。あるいは写っているのは赤シャツではないのかもしれない。

[3]  筆者は2010722日に被告Oに刑務所でインタビューした。それによれば、彼女は519日午前10時ごろ、ウィトゥーン・ナームブット民主党国会議員事務所前で演説した。「政府の統治はよくない。我々は政府のバンコクでの暴力行使に反対するために来た」と。次に県庁前の通りに行ったが、中には入っていない。敷地内の車を燃やした容疑を受けているが、外にいた。銃撃で倒れる人を見て、怖くなって逃げた。火災が起こる前に帰宅したという。

裁判傍聴記。検察側証言:わからないが★推定だ。★物的証拠はない。(笑)

タイの赤シャツ裁判傍聴記
    ウボンラーチャターニー県庁焼き討ち事件

ウボンラーチャターニー大学教養学部東洋言語文学科講師

高橋勝幸     


   20101215日(水)、ウボンラーチャターニー地方裁判所でウボンラーチャターニー県庁焼き討ち事件2010519日発生)の裁判を傍聴した。そこで感じたのは、もはや赤シャツうんぬんという問題ではないということである。
 これは人権、人道的問題だ。これが公正を期す裁判かと疑った。コメディを見ているようだった。
 証拠写真のいい加減さに被告弁護士が笑ってしまう。
 被告、傍聴者の嘲笑。裁判長もつられて失笑する。
 ついには証人台に立った警察官も苦笑を抑えることはできなかった。流石の警察官も取り調べの杜撰さを再確認した思いだろう。
 県庁焼き討ち事件の犯人に仕立て上げることができれば、赤シャツなら★誰でもよかったのだ。唯一笑わなかったのは原告弁護士だけである。
    
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ウボンラーチャターニー地方裁判所>       <県庁焼け跡>


僕は収容されている赤シャツのお見舞いのために、その日、15食分の豚と鶏のバジル炒めを持って刑務所を訪ねた。食料を係りに預け、職員にお見舞いの許可を求めると、朝から裁判所に出頭しているという。人数も多い時に48人いたが、保釈などで21人に減った[1]。そこで、裁判所へ向かった。13時を過ぎていた。午後の裁判は13時半に始まる。
法廷を探していると、★足錠の鎖が擦れる音が聞こえてきた。赤シャツの被告が昼食から戻ってきたのだ。60歳以下の男性は足錠をかけられていた。
刑事事件1496/53。原告はウボンラーチャターニー県検察庁。被告はピチェート・ターブッダーをはじめ21人。うち女性は3人。容疑は★県庁焼き討ちだ。ウボンの赤シャツの最も重い容疑である。裁判は50回予定されている。20115月に結審する予定で、今回は2回目だ。複数の罪状の容疑(非常事態下の10人以上の政治集会参加、騒擾、公務執行妨害、武器所持と使用、不法侵入など)をかけられているため、県庁焼き討ちは最後になった格好だ。★それにしても無罪だったら、何と長い拘束であろうか。人権侵害も甚だしい。逮捕されてすでに7ヶ月が経過している。
審理が始まる前に、女性の被告と話した。「憲法は人権を保障していないのか。こんな国が他にあるのか。出獄したら、自分の体験、人権状況を大学で講演したい」と彼女は熱く語っていた。
  1340分に午後の裁判が開廷した。法廷には裁判官2人、書記官1人。原告弁護士1人、被告弁護士3人、被告弁護士の助手1人。証人は原告側から取調べに当たったノッパドン・チュアイブン警察中佐である。被告21人は傍聴席に座っていた。

  僕は被告の隣に座った。家族と支援者が約15人来ていた。証人席に警察中佐が着くと、僕の隣の女性被告は、「嘘つき。信用ならない」とつぶやいた。原告弁護士とのやりとりは声が小さくて聞き取れなかった。被告弁護士は流石、声が大きい。証人の警察官の声は相変わらず小さい。被告弁護士は、被告一人ずつの逮捕の経緯を追及した。今回は証拠写真の追及に終始したといってよいが、傍聴席からは写真がはっきり見えなかった。


被告弁護士1:証拠写真はどのように入手したのか。
証人:記者や役人から入手し、分析した。
被告弁護士1:写真はどこで撮ったものか。
証人:県庁敷地の内外だ。
被告弁護士1:油を撒き、点火している写真はあったのか[2]
証人:(僕は聞き取れなかった)
被告弁護士1:覆面をしている人もいた。どのように写真から被疑者を割り出したのか。
証人:証人が写真中の知っている人の名を提供した。それから逮捕状を請求した。
被告弁護士1:トヨタのピックアップを運転している被告の写真がある。★これが証拠写真になるのか。(笑い)
被告弁護士2:被告O民主党国会議員事務所前の写真が証拠になっている[3]。ここでは集会が行なわれ、タイヤが燃やされた。この写真はいつ撮られたものか。
証人:519日だ。
被告弁護士2:この写真は午前10時に撮影されたとの記録がある。スピーカーを積んだ車の前で演説している。★これは県庁焼き討ち事件の前だ。(県庁が燃えたのは午後2時頃)事件の前の写真をもって、県庁焼き討ちの容疑の逮捕状を請求できるのか。(笑い)
   演説を見たのか。
証人:見ていない。
被告弁護士2:演説の内容も知らないで、逮捕したことになる。この写真はどこだ。民主党議員事務所の前だ。(笑い)★県庁と関係のない写真。19日★午前の写真。
証人:事件から遡って、証拠として有効だと思われる。
被告弁護士2:現場にビンを握っている人がいたというが、誰かもわからない、その中味が油かもわからない。その確認は警察の任務だ。
証人:わからないが、★推定だ。★物的証拠はない。(笑い)
被告弁護士3証拠写真も逮捕状もない被告がいる。
証人:自首してきた。
被告弁護士3:被告が県庁の集会にいつ参加し、どこにいたかもわからない。呆れるばかりだ。証人はこのことをどう思うか。
証人:(本人、苦笑)


逮捕状の発行が人権侵害の防止になっていない。証拠写真のやり取りの中で、裁判長はときどき本人確認のために被告を起立させた。それは写真が不鮮明であるからだが、決まって、苦笑しながら識別できない旨述べた。1625、閉廷した。傍聴は被告を元気付ける。支援者は傍聴に参加し、裁判官、原告へ圧力をかけることも重要だ。首相にもこの滑稽な裁判をぜひ傍聴してもらいたいものだ。自分が加担している過ちがどれほど多くの無辜の人々に多大な苦難を与えているか気付くはずだ。


[1]  収容者については拙稿「非常事態宣言と大量検挙:ウボンラーチャターニー中央刑務所の赤シャツ」『タイ国情報』44435-54参照。
[2]  最重要証拠になるはずだが、警察は握っているというだけで公開していない。無い可能性もある。あるいは写っているのは赤シャツではないのかもしれない。

[3]  筆者は2010722日に被告Oに刑務所でインタビューした。それによれば、彼女は519日午前10時ごろ、ウィトゥーン・ナームブット民主党国会議員事務所前で演説した。「政府の統治はよくない。我々は政府のバンコクでの暴力行使に反対するために来た」と。次に県庁前の通りに行ったが、中には入っていない。敷地内の車を燃やした容疑を受けているが、外にいた。銃撃で倒れる人を見て、怖くなって逃げた。火災が起こる前に帰宅したという。

タイ国ウボン県の赤シャツ「逮捕状」…その杜撰さ!

タイ国ウボン県の赤シャツ逮捕状
高橋 勝幸

バンコクに収容されている赤シャツ指導部の釈放、保釈要求は声高に叫ばれるが、注目されないだけに、地方末端の赤シャツ収容者の状況は一層深刻である。前回のレポートに書いたように、裁判を傍聴して、証拠写真と逮捕状がいい加減であることがわかった。次のアドレス
<ポスター番号19イメージ 3   <逮捕状> イメージ 2

     
逮捕状j.177/25532010520日付けで、ウボンラーチャターニー県裁判所が発行している。刑事事件として、ウボンラーチャターニー市警が次の容疑で逮捕状を請求していることがわかる。
すなわち、①公共建造物放火(県庁焼き討ち)、②
10人以上が暴力を使って騒動を起こした集会に参加(10人以上の政治集会)、③不動産不法侵入(武器を所持して県庁敷地に立入り)、④公務執行妨害、⑤公共物破損である。逮捕状は同年519日から★20年間有効とある。
 
イメージ 4    イメージ 5
証拠写真>           民主党国会議員宅(筆者撮影)>
僕が撮影した右上の写真と比較すると、証拠写真が県庁ではなく、スタット・ガーンムーン民主党国会議員の邸宅前(519日午前、赤シャツがデモを行ない、タイヤを燃やした)で撮影されたことは明らかである。容疑者は右手で大きな容器を持っているが、警察と裁判所はこれを県庁放火の燃料と見たのだろう。頭に何かかぶり、サングラスをかけ、マスクをつけているが、逮捕に当たりどのように当人を識別したのだろうか。性別すらはっきりしない。証人の証言に基づくものなのだろうか。

イメージ 6

ポスター番号25
 この氏名不詳の女性に逮捕状j.232/2553が出された。
写真の後方の女性は既に逮捕され、県庁焼き討ち事件で現在、裁判所で審理が行なわれている。
  拠写真からはっきり判別できるが、僕はこの女性とよく赤シャツの集会に参加していたので親しい。僕の教え子の伯母に当たり、
1215日の裁判には教え子の母親も傍聴に来ていた。
本人は主婦。ウボンの赤シャツ・グループの
1つ「ノーポーチョー・ウボン」のメンバーである。
僕が以前に彼女と刑務所で面談したところ、
519日は、サパシット病院に用事があり市内に出たところ、10時半頃、多数の兵士が出動するのを目撃したということだった。
…そこで彼女は県庁に行ってみた。夫が陸軍
1等准尉なので、軍人の知り合いが多い。知り合いの陸軍大佐が県知事と一緒に庁舎前にいたので、「暴力を使わないでください」と掛け合った。
銃撃が庁舎
2階からあり、彼女は逃げ出した。県庁が燃え出す前に帰宅した。
5
22日、郡警に逮捕状が出ている人の写真と名前を見に行って捕まった。
刑務所の寝食の状態が悪く、睡眠薬がないと眠れない。娘が心配で恋しいが、囚人服姿で子供に会いたくないという。
保釈は未だ認められない。

<ポスター番号10番>イメージ 1
 
ポスター番号10 指名手配のプラユット・ムーンサーンである。逮捕状j.213/2553。逮捕状の発行は522日。警察の請求理由は前記2人と同じだ。
証拠写真はなく、国民証が指名手配に使われている。というのも、ウボンの赤シャツ・グループの
1つ「タクシンを愛する人のグループ」の公然たるリーダーだからだろう。
彼は末期の癌を抱えながら、ウボン県等の赤シャツを指導した。
519日の事件後、森に隠れていたが、資金面と病状の悪化から自首することになった。新聞やテレビでも取り上げられ、全国的に有名になった。まだ逮捕を恐れて姿を隠している赤シャツは少なくない。
プラユットは県庁焼き討ちの容疑で逮捕されたが、社会活動家やプアタイ党の支援で20万バーツの保釈金を払い、療養生活を送っている。癌の治療には月々1万バーツ以上かかる。7つか8つの容疑をかけられている。
記者とのインタビューで、「県庁の焼き討ちは赤シャツだけの仕業ではない。県庁舎の
2階から炎が見えた。誰かが放火し、赤シャツに罪を擦り付けている。ビジネスマンや役人の間に近代的な庁舎を望む声があったのは広く知られている」と彼は話している[注1]
 
政府が赤シャツ問題を解決するために設置した真実和解委員会は1115日、憲法の規定に基づき、容疑者を罪人として扱ってはならないと、政府に提案した。国家人権委員会201012月初旬になって初めて、赤シャツ収容者の人権状況に関する6月の調査を公表した。
★収容者は適切な捜査や証拠もなく逮捕され、拷問を受け、虚偽自白を強制され、抗弁する機会なしに投獄されていることがわかった。全国で
422人が勾留されていたという。その多くが「★野次馬」であった。
暴力活動に関与していない人々がいわれのない容疑をかけられ、不適切な扱いを受けている。親族や弁護士との面会も難しく、保釈手続きも遅々として進まない
[2]
[注1]Achara Ashayagachat, “Panel claims redshirt inmates tortured,” Bangkok Post, December 7, 2010.
[2] Ibid.


 

異常な報道規制のもと、久方ぶりに タクシンの声が届いた。(引用)

2010年09月04日

タクシン元首相、国家・国民・王室を愛する者と認めてくれる者とのみ協議に応じる用意

 タクシン元首相は、タイラット紙が行った独占インタビューの中で、自分を国家・国民、王室を愛する者であると認めてくれる者とのみ協議に応じる用意があることを明らかにした。

国家の最重要人物との協議に応じる可能性に関して聞かれた同元首相は、
自分が望んでいるのは国家の平穏と和解実現だけであるとした上で、
自分を首相経験がある国家、国民、王室を愛するタイ人であると認めてくれる者なら誰とでも協議に応じる用意があるが、
人間の言葉しか話すことが出来ない自分としては、
トラやライオン、野牛やサイといった類との協議は遠慮させて貰いたいと語った。

また、現在のタイに関しては、
独裁が民主主義制度の中に入り込むと抜け出すのが難しく、クーデターから4年経った今でも独裁体制と民主主義体制が同居していてもおかしな話では無いとし、
依然独裁体制が民主主義制度の中に潜み、
政治家は生き残りと権力保持の為に自らを独裁者に売り飛ばし、
不正・汚職が蔓延るなど、依然政治に改善が見られていないと指摘した。

タイが4年前と同じ状況に戻ることはあり得るかとの質問に対しては、
確実にあり得るが、政治家が権力保持の為に民主主義の魂を独裁者に売り渡ている現在の状況下では多少の時間を要するだろうとし、
また元の状況に戻る為には、
国民が選挙権を行使し真の民主主義を選択することと、
政治家が魂を売りとぼすことをやめ真摯な姿勢で国民と向き合うことが必要であると指摘した。

仮に現在選挙が行われた場合に関しては、
民主主義発展の為の法改正に取り組ませる為に、国民に真の民主主義を追及する政党を選択する機会を与えることになるが、
現行の非民主的な選挙関連法下で行われるのは望ましくないとし、
またプゥア・タイ党(タクシン派合法政党)の勝機に関しては、
負けが分かる状況下で政府が早期解散に応じるか疑問であると断った上で、
国民は、軍の息がかかった政治家や軍よりな連立政権を望んでおらず、
国民の為の民主的な政府、民主的な法制度を望んでいると語るに留めた。

また、プゥア・タイ党勝利後のクーデターの可能性に関しては、
全ての制度が指令者の為のものでは無く国家・国民の為のものであるべきであるとした上で、
仮にクーデターが起きても国民が順次立ち上がり 国民の手により司法や独立機関が是正されることになると指摘した。

更に、首相返り咲きの可能性に関しては、
公正と民主主義が確保されている限りは首相に返り咲く、返り咲かないかには関心が無いとしたが、
国民から多大な恩を受け国民に借りを負っている身としては、国民に何らかの形で恩返しをしなければならないが、
全ては国民が自分を支持することや、自分が国民の為に働くことを許してくれるかにかかっているとした

一方、クーデター発生を許したことに関しては、
情報当局の情報収集体制が最悪な状況にあった為クーデターを許してしまったが、もし当時自分が国内にいれば発生を許す事はなかったとし、また自分側にいた人物に裏切られたことに関しては特に思うことは無いとしたが、
ネーウィン・チットチョープ氏と再度行動を共にする可能性に関しては、政治家では無い失業者である立場として答えることが出来ないとし明言を避けた。

また、赤服軍団との関係に関しては、
政治的理想について話し合う関係にあったが、活動そのものには関与していなかったとした。
http://thaina.seesaa.net/article/161469544.html からの引用。

タイ王国の非常事態宣言と大量検挙 (その4) 一応は解除されたものの

タイ王国非常事態宣言と大量検挙(抄)
ウボン中央刑務所の「赤シャツ?」たち     ウボン日記~その7
            ウボンラ-チャターニー大学教養学部                      東洋言語文学科講師 高橋 勝幸
(その
「男性」面談記録のつづき…
 
 
男性(22) (723)
60.。ワーリン郡在住。農民。チャックトンロップ会員。78日から収容。非常事態宣言違反、騒乱、10人以上の集会参加、民主党事務所前でタイヤを燃やしたという4つの容疑。証拠写真は車。519日、民主党事務所に集会が終わってから行った。それから、県庁に行った。年寄りだから外にいた。銃声が聞こえて、県庁が燃えた。2時ごろ帰った。バンコクの集会には312日に1回行った。公正と民主主義を愛す。自分の国を正しくしたい。理想を求めて赤シャツに参加した。政府との対立、社会の対立に疑問を抱いている。
 
男性(23) (723)
48歳。シームアンマイ郡在住。農民チャックトンロップ会員(1年)。集会参加、騒乱、タイヤを燃やしたという容疑。空軍基地にいるところを写真に撮られた。51614時ごろ偶然通りがかったにすぎない。519日は農作業をしていた。裁判は17人とともに79日に1回。次は82日。裁判官が容疑を読んだ。1時間要した。バンコクには王宮前広場に3日間、ラーチャプラソン2日滞在した。県庁前の夜の集会にも参加したことがある。公正、正義を好む。赤シャツの理想が好き。生活苦、旱魃など個人の問題で赤シャツに参加した。タクシンの政策は農民を助けた。例えば30バーツ医療政策、麻薬取締り。
 
男性(24) (723)
66。市内在住。農民。日雇い。チャックトンロップ会員(1年)。中学6年卒。78日から収容。自首した。容疑は10人以上の集会参加、県庁焼き討ち、騒乱。証拠は車の写真。516、母が酸素ボンベで呼吸しているので補給に来た。空軍基地で偶然タイヤを燃やしているのを見て、寄っただけ519日は郊外にいた。公正、真っ直ぐなことが好き。
 
男性(25) (723)
50歳。ミュージシャン(人生のための歌 社会的なメッセージを込めた曲。)。524日から収容されている。容疑は集会参加、公務執行妨害武器不法所持、公共物破損。519日、県庁に見に行っただけ。県庁舎前の草むらにいた。1時ごろ、実弾を足に受け、市内のサパシット病院に運ばれた。県庁が燃える前だ。誰が撃ったかわからない。2回裁判に出た。次は82日。チャックトンロップ会員ではない。社会公正が好き。民主党が選挙をボイコットしたことに怒った。県庁前、バンコクの集会に参加していない。公正を要求し、銃で撃たれ、重い罪を着せられている。こんな馬鹿なことがあるか。

男性(26) (723)
55歳。ワーリン郡在住。地元紙編集長(休刊。創刊10年。東北タイ南部をカバー)。521日から収容。運動の指導、騒乱の容疑。自分は赤シャツでない集会にも参加していないバンコクの集会にも行かなかった。51411時、自由民主橋を通りがかり、記者として集会を取材した。自分は知らないのだが、自分を知っているという人に何か話すようにと誘われ、「疲れていないか。これらの行為は法律違反ではない。意見表明は正しい。法律の下に整然と平和的にデモをやるように」と話した。10分ぐらいいて帰宅した。まだ非常事態宣言は布かれていない。その時の写真が証拠写真となった。タイヤも焼いていない。3回目の裁判は82日。2回保釈を要求したが、受け入れられない。621日、弁護士と話し、当局を訴えた。1012日、19日に裁判が行われる。赤シャツは正義と民主主義を要求している。
 
男性(27) (723)
28歳。ワーリン郡在住。ビデオ編集、コンビニ経営。マハーサーラカーム大学人文学部タイ語メディア学科卒。ニューメディアの修士課程中退。78日から収容されている。容疑は10人以上の集会参加、武器不法所持、役所への侵入、公共物破損。証拠ない。店をウボン大学3門のそばに構えている。519日、大学は夏休み。客が少ないので、仕入れに出かけ、ついでに県庁前のトゥンシームアンにお参りに行った。そうしたら赤シャツの集会があった。自分は県庁前の大通りで元記者ということもあって、集会を観察し撮影した。軍と赤シャツの衝突から20メートル離れた所にいた。衝突は県庁の正面向かって右手の門の脇であった。兵士が赤シャツを棍棒で叩いていた。自分のいる外側の通りでタイヤが燃えていた。13時ごろ、23発の銃声を聞いた後、足に銃弾を受けた。約200メートル離れた庁舎の2階から撃たれた。市内のサパシット病院に搬送された。12日間入院した。トーイら赤シャツの見舞いを受けた。529日に30分警察の尋問を受けた。なぜ銃撃されたのかを聞かれた。「集会を見に行って、撮影していた」と答えた。529日から77日まで保釈が許され、帰宅した。82日に裁判。自分は赤シャツではない。刑務所で赤シャツと知り合いになった。この社会に公正はないと思った。
 
男性(28) (723)
34歳。トゥラガーンプーンポン郡在住。三輪タクシー運転手。赤シャツでない610日に逮捕され、拘置所を経て、612日に収容された。容疑は役所侵入、公共物破損、県庁焼き討ち、公務執行妨害、集会参加。県庁で立っている所を写真に撮られた。519日、雇われて、県庁隣のシーウボン学校に生徒を2人迎えに行った。しかし、道路が封鎖されていて迎えにいけなかった。仕事は放棄せざるをえず、母親が迎えに行った。三輪自動車を停めて、歩いて県庁に見に行った。火事はまだ起こっていなかった。タイヤが燃えていた。庁舎には兵と警官でいっぱいであった。銃声が聞こえた。保釈ない。裁判まだ。1年7ヶ月の子どもがいる。妻と田舎で暮らしている。
 
男性(29) (723)
59歳。ワーリン郡在住。果物小売。チャックトンロップ会員。78日から収容。519友人に貸した車をスタットの家と民主党事務所のそばで証拠として写真に撮られた。その日、自分は自宅で子どもと孫の世話をしていた。夜、県庁前の集会に参加したことがある。公正を愛し、正義と民主主義を求めた。バンコクの集会に行っていない。家と車の借金がある。月に2万バーツ返済。アピシットの時代に借金が増えた。タクシンの時代に銀行の融資を受けて、家を建てた。今、モノが売れない。物価が上がった。失業者が増えた。
 
男性(30)(728)
58歳。ワーリン郡在住。商売。チャックトンロップ会員。中学6年卒。容疑は10人以上の集会参加、516日の空軍基地前集会参加、519日県庁での集会参加、県庁焼き討ち。実際は、516空軍の集会を見に行ったが、車の中にいた。519日は集会が終わってから、県庁を見に行った。見たかった。バンコクの集会にも王宮前広場、ラーチャプラソンなど23日、23回行った。民主主義と公正を求めて赤シャツに参加した。
 
男性(31)(728)
  53歳。市内在住。日雇い。小4卒。525日から収容。県庁焼き討ちの容疑。実際は、519日、10分間、県庁の向かいにあるトゥンシームアン公園にいた家族が心配だ。学校に通う3人の子がいる。妻は背中を痛め、仕事ができない。近所の人が援助してくれている。家も傷んでいる。
 
男性(32)ピチェート・ターブッダ(728)
  55歳。市内在住。専従運動家。チャックトンロップ代表。520日正午、多数の警察・軍人が自宅を取り囲み、自分を逮捕した。運動の関連書類、パソコンが没収された。他の容疑者より、大衆動員、テロリストの容疑が加わっている。425日のサンティ・アソークに対する抗議運動、51419日の集会の罪を問われている。没収されたコンピュータの中には、チャックトンロップの会員のデータがすべて入っていた。7千人近い個人データである。写真、氏名、住所、電話番号が記載されている。逮捕された人の中にチャックトンロップの会員が多いのはそのためであろう。次男は安全のためバンコクの中学校に転校せざるをえなくなった。自分の家は民衆の溜まり場であったが、逮捕を恐れて誰も近づかなくなった。自分は死刑にされる可能性がある。関係のない人はすぐにでも釈放してほしい。自分は最後の一人になって、他の被勾留者を励まし続けたい。飛行場を閉鎖した黄シャツが保釈され、我々が保釈されないのは理解に苦しむ。チャックトンロップはローカルな運動組織である。タクシン支持でも赤シャツ支持でもない。統一戦線として、反独裁民主戦線(ノーポーチョー)に参加した。プアタイ党はチャックトンロップを頼りにするが、チャックトンロップはプアタイ党に依存しない。同党議員を誠実でないと批判すらしたことがある。主にコミュニティ・ラジオを媒体に活動していた。自ら活動資金を工面し、仏教の活動を重視し、衣服や自転車などの寄付活動をした。会員が病気になれば見舞い、会員あるいはその家族に不幸があれば駆けつけた。かつて個人的に国会議員の子の面倒を見たことから、選挙運動家と噂されていることも知っているが、それは違う。自分は借家に住み、おんぼろの自転車に乗っている。2年前にDSI法務省特別捜査局)の資産調査を受けたとき、500バーツしかなかった。ニュースは家族や弁護士との面談で入手している。今、タイには民主主義も公正もない。政府は独裁で、国民の代表でないことが懸念される。善良な人々がテロリスト呼ばわりされている。兄弟である日本人にも知ってほしい。
 
男性(33):(729日) 
28歳。ワーリン郡在住。商売。中学6年卒。赤シャツではない78日から収容。容疑は10人以上の集会参加、公務執行妨害、タイヤを焼く、公共物破損など6項目。519日、用事があって県庁付近に行ったが、集会があったので野次馬として県庁の柵の外にいた。足を撃たれ5日間入院した。1ヶ月保釈された。82日が初公判。
 
男性(34):(729日) 
21歳。ケーマラート郡在住。日雇い。中学6年卒。赤シャツではない78日から収容。容疑は10人以上の集会参加、公務執行妨害、タイヤを焼く、公共物破損など6項目。519日、仕事が無かったので、街に遊びに行った。集会があったので野次馬として見ていた。県庁前の広場にいたところを、腹と腕に4箇所銃弾を受け、重傷を負った。10日間入院し、保釈の身で帰宅した。82日が初公判。
 
(つづく)