8.26追記あり。「不逞黒人」には死を! しかし「南軍の戦友インディアン」には心からなる敬意を!……なのでしょうか?

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◆ たとえ著者が白人至上主義者集団KKKの幹部だとしても、
この物語自体は 読む値打ちのある とても素敵な良い作品だと思いました。
少なくとも、
世の中から排除すべきだと声高に叫ばねばならないような本ではない
と、感じましたけれど……。


……ただ、実在するチェロキー族を「騙った」点だけは、確かに糾弾!に価するし、
今後の出版に当たっても、ハッキリさせるべきだよなぁ。
……では、「架空の部族名」で、「創作です」と明示しさえすれば 話としては良かったのか?
それ「だけ??」の問題 なのだろうか?

フォレスト・カーターの『リトル・トリー

……以下、記事、推敲中……。
◆ もう一冊読んでみようと思って、
同著者の『ジェロニモ』を注文してみました。
来月あたり読めるかな?

参考記事 ↓↓↓
http://native.way-nifty.com/native_heart/2006/01/post_1e0d.html

特に、「実在のチェロキー族の文化とここが違う!」という記事、など。http://native.way-nifty.com/native_heart/2006/01/post_da23.html


8.26 追記
◆ この本には、(「訳文」に忠実に読み取る限りにおいてはなのだが、)
「被抑圧者」としては、「インディアン」と「小作」が 度々出てくる。

その「小作」のうちの或る一家は、父娘ともに裸足だったので、
リトルトリーの祖母がその娘のために
インディアン式の鹿皮靴(モカシン)を作ってあげるのだが、
娘自身は喜んだものの、父親が激怒し、
柿の枝木が折れるまで その娘を打ち据えた上で
「おれたちは ほどこしなんか受けねぇ……だれからも……
異教徒の野蛮人からなんて、とんでもねえや!」
と言って突っ返しに来る。
その帰り道で 祖父はリトルトリーに
「わしはあの小作人を憎んじゃおらんよ。あんなやりかたはどうかと思うがな。
誇りがあいつのすべてなんじゃ。……」云々と、リトルトリーに感想を漏らす。

◆ そうした「小作」のエピソードがいくつか出る中で、
「黒人」はたった一回、
この本全体の中で たった一人だけ しか出てこない。
(間違ってたらごめん)

南軍の傷痍軍人である白人の、ニワトリすら飼えないでいる貧しい一家にまつわるエピソードで、
連邦政府軍の農民上がりの将校が この一家にラバを与え、一緒に開墾を進めるのだが……

……という話の中に出てくる その 年寄りの黒人 は、
勿論その一家と共に開墾を進める「一員」なのだが、
彼だけは、一家の「小屋」ではなく、その「納屋」に住んでいる。
(1867年と、珍しく年代が明記されている。南軍敗北、奴隷解放の2年後だ)
つまり一緒には住んでいない という意味の「訳文」になっていて、
それ以上(?)の黒人差別……は、「描かれ」ては いない。

※ 念のために、昨日 英語版も注文してみた。
作品の中で、
祖父が(白人文化をも尊重する意図から) 「How!」 と挨拶しているのかどうかも
確かめたくてネ……。
……この、 インディアンの「How!」 の再発見も、
僕にとっては この本を読んで良かったなと思えることの一つだった。
あれは英語だったのだ……。