ああ、これが「末期の水」、死に水を取る ということか……

、「死に水」を取る ということか……

※ あまりにも不謹慎に思えて、写真を撮ることは出来なかったので、文章だけ。


ああ、これが「末期の水」

牧場物語余録

◆ ついこのあいだ 自宅で寝込んでおられる病床までお見舞いに行ったばかりの
或る小父さんが亡くなった。
「小父さん」とは言っても、もはや僕も今月末には満53歳、
彼はそんなに年上の人ではない。

日本手ぬぐい一枚程度の装備での塗装業で、肺を痛め、生命を縮めてしまったのだ。
やっとの事で完走したフルマラソンの後のような息をしていた。

でもその時は まだ、酸素マスクを自分で直し、かすれた声で家人と会話し、僕らにも何やら言ってくれたのだ。
(何やら、と言うのは、声が聞き取れないのではなく
イサーン語だから僕には判らなかったという意味)


◆ その小父さんが「今日 死ぬ」から会いに行かないか?とオーイが言うので
聞き間違いかと思って、
「え?今日?死ぬの?」と問い返したが、そうだ と言う。
僕らは夕刻 出かけていった。

◆ 行ってみたら、ぱりっとした淡いブルー系のワイシャツに、よそ行きっぽいズボンを穿いた、どう見ても病人のそれではない姿で以前の場所に横たわっていた。
近所の人たちがみんな「最後のお見舞い」に来るから、そのための「盛装」なのだった。

とは言っても、そのズボン……、
大腿骨がどこにあるのか、そもそも膝がどこにあるのかすら判らないほどやせ細っているので、まるでエイリアンに体液を吸い取られた特撮映画の死体さながらの不思議なしおれ方である。

◆ 枕元にあるのは、高さ20センチほどの仏像。
「枕元」と言っても、あろうことか、敷き布団の上である!
これを安置し、病人自身の頭を仏像より前に出させないために、
30センチあまり病人自身の枕の位置が布団の上端から下げられて、
両足首から下が敷き布団からはみ出してしまっている。
(ちなみに、熱帯のタイには、日本で言う「掛け布団」というものは基本的に存在しない)
仏像は、病人を先導するかの如く病人に背を向け、ふんぞり返って座っている。

◆ 決定的なことが一つ。
日本流の意味での「枕元」、壁際に、以前と同様に大人の背丈ほどもある酸素ボンベが立てられているのであるが、こぽこぽ言っていなかった。
小父さんは酸素マスクをしていない。透明な管が巻き上げられてボンベの首に巻き付けられている。

細かい いきさつは知らないけれど、
『ああ、なるほど。今日、死ぬんだ……』と僕にも思えた。
宮沢賢治の『永訣の朝』ではないが、「今日のうちに 遠くへ行ってしまう」のだ。
誰もがみんな それを知っていて、 みんなで それを待っている。

◆ 家の外では、小父さんの友人、知人、その他の男衆が酒盛りをしている。
「葬儀」の振る舞い酒が、既に始まっている、と言うべきか?
「健!カムヒヤー、ドリンク!ドリンク!」と、僕も何度も声を掛けられたけれど、
これには どうも、……応じる気分になれなかった。
異文化コミュニケーション 失格か?!

◆ そう言えば屋内に居るのはほとんど女性だ。
小父さんの誇る子供たちというのも息子ではなく「3人の娘たち」らしく、
小父さんの足の方の壁には、その3人が皇族たちから大学の卒業証書を戴く瞬間のでっかい写真額が並べて飾られていて、その他の周囲の壁という壁には
娘の誰かが美術系の大学だったのだろう、仏像風の人物のレリーフとか大きな静物画とか風景画とかが、王様のカレンダーを圧倒する迫力で びっしりと誇らしく掲げられている。

◆ 隠しようもなく露骨に、みんなで小父さんの【最後の息を待っている。】
無論さまざまな思いはあるのだろうが、
誰かが取り乱して嘆き悲しんでいるわけでもない。

室内に聞こえているのは、いつもと変わらぬ伯母さんたちの世間話と、
早く来すぎて?待ちくたびれたか、枕を出してもらって寝てしまった伯母さんのいびきと、
やっと10センチ這えるかどうかという時点の 小父さんの内孫(男)をあやすマスオさんの赤ちゃん言葉。

そして、ひっきりなしに すきま風のような音……。

◆ 最初は小父さんの息の音かと思ったが、
叔父さんの首や肩の動きと妙にずれているので どうも違うらしい。

小父さんに近づいて よ~く様子をうかがってみて初めて判った。
小父さんの娘さんが 小父さんの耳元で とぎれることなく 何やら ささやいているのだ。

小父さんの「二呼吸」毎に合わせて、まるで小父さん自身が唱えているかのように、

            ぅっ…(吸気)
         ぅぅ       / たぁぁぁ
       ぅぅ              ぁぁぁ
     ぅぅ                   ぁぁぁ            ぅぅ ……
…ぷぅぅ                        ぁ…(吸気)/ ぷぅぅ

娘たちが 時折 交代しながら、
今はの際の父の枕元にひざまずき、
父に代わって、極力 父の呼気に合わせながら「仏陀」の御名を唱えているのだった。
何時間も 何時間も……

◆ そうして時々、娘たちによる 末期の水。
ああ、これがそうなのか……。

ぐい飲みほどのグラスに浸した脱脂綿で唇をぬぐい、
ちょっとだけ滴らせてあげているようだった。
赤い液体と、無色の液体と、2種類あったがよくはわからない。

小父さんの乾いた息の音に 少し のどの ごろごろいう水気の音が加わると、
前にも増して、いかにも苦しそうにも聞こえてくるが、……

小父さんも、朦朧とした意識の中で 三宝への帰依を唱えているのだろうか?
それとも、きっと自分を忘れてしまう内孫を、もう一度呼んでいるのか?
やりたくて やりきれなかったことどもを、数え上げているのだろうか?
塗装屋という道を選び、子供たちを育て上げ、立派に成功した自分を、
褒めているのか、嘆いているのか……

一度だけ、潤んだ細目をうっすら開けて遠くを見たが、何かが見えていたのかどうか……

僕らが来たときには、小父さんの右手には仏陀のお守りが握らされていたのだったが、
気がつくと、今はもう お腹のあたりに ぽとんと落としてしまっている。
その右腕が、二度,三度、目のあたりへと、こくっ、こくっと動いた。
娘の一人が濡れタオルを持ってきて、絞って小父さんの目のあたりをぬぐってやった。

◆ そのまま「待ち」くたびれて、僕たちは皆、眠ってしまった。
(もちろん、親族の誰かを寝ずの番に残してネ。)


◆ 目が覚めたら朝だった。小父さんは、息を続けている。
「小父さん……元気だね。」などと、妙な言葉が脳裏をかすめる。
昨夜 新しいのに替えたやつか、またあらためて夜中に替えたものか、水分補給の点滴がまだ少し残っている。

◆ ちょっと帰って顔でも洗って……
と思って、帰宅したところへ、小父さんが息を引き取ったという電話が入った。
ほんの二十分ほどのズレだった。
慌てたってもう遅いけど、とにかく慌てて行って見ると、
部屋の大掃除中。
もう お坊さんたちの読経席を作る準備が始まっていた。


◆ ああ、僕は 僕は またしても、
最後のひと息を、見届けてあげられなかった。


◆ 考えてみると、18でふるさとを出て以来、自分自身の伯父さんや伯母さんや、友人、知人、その親御さん、そのお子さん、と数多くの死を知って お葬式のために帰省したり弔電を打ったりしたことは数多あるのだが、「今! ご臨終です」という場面に出くわしたことがない自分だということに、深~く 気がついてしまったのだった。