タイ王国の一期一会。さようなら、ピーコ。さようなら、たくさんの動物たち……。

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◆1 『「クマのプーさん」を英語で読み直す』という本をもうすぐ読み終わる。

◆2 これが、ピーコの最後の写真。7月4日。

ウチが何軒目だったのか、
どこからか やってきて、窓枠に止まり、
「ぴぴっ、ピピッ(私、私。開けて、開けて!)」と啼くので
開けてやると、まるで我が家のように ずかずか入ってきて、
部屋中を飛び回り、あちこち物色する。

いたずら心から、試しに窓を閉めてしまってみたところ、
別段 慌てもせずに、こうして窓のそばで
「ぴぴっ、ピピッ(あの~、そろそろ出たいんですけど? 開けて、開けて)」と啼く。

ピーコの止まっているところは、
僕のパソコン机の上にどん!と載せてある大きな本棚の上部で、
ピーコの高さが窓枠の上端。
後ろの青いカーテンを下に辿ると……、

◆3 こういう「景観」となっている。

右半分の網戸を開けてやると、
「ぴぴっ、ピピッ(そう、そう。それで良いのよ~♪)」と啼きながら
ピーコはこの窓から出て行った。



牧場物語余録

◆ この数日、ご飯を食べていても ピーコが やって来ない。

毎日 毎日 かいがいしく、プクの家に立ち寄って一緒にご飯を食べてみたり、
ウィムの家に立ち寄って籠の中の鳥仲間にあいさつしてみたり、
またウチに来て、
忙しく売り物の「おかず」の下ごしらえをするオーイやエーの動きを監督してみたり
……と、
近所中のみんなに可愛がられていたのにね。

「悪い奴が居て、捕まえてしまったに違いない!」 、と腹立たしそうにオーイは言う。

そうなのか?ピーコ。
ちゃんと可愛がってもらえているなら、少しは救われるけれど……。

どこかの籠の中で、
「サワデー トンチャーオ! おはよっ ござーます!」なんて、
オーイが躾けようとして しつこく呼びかけていた言葉を覚えていて
バイリンガルで しゃべってくれていたりすると、ちょっと嬉しいけど、
まだ覚えてなかったからなあ……。

◆ 思えば、タイに関わり始めての この数年間に、
本当に多くの動物たちと、出会っては別れてきたことだ。

オーイたち一家の飼ってきた犬たちだけでも、相当な数に上るし、
その上、牛、ヤギ、猪、鳥、亀、魚、……
第一、人間たちとも、
日本とは明らかに異なる、いろんな別れ方を体験した。

あちらも、こちらも、
あしたも居るとは限らない。
今日出会って 時空を共にしているという事実を、
心から大事に出来ているのかどうか、

日本に居た頃以上に 試されているのかもしれない。
(あはは、なにやら坂村真民ふうになってきたぞ……)

坂村真民「二度とない人生だから」(抄)

二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳を
かたむけてゆこう

二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないように
こころしてゆこう
どんなにか
よろこぶことだろう




◆ ピーコの出ていった窓の「景観」について。


先ず左手に 電気湯沸かし器 。(2.2リットル)

後ろのほうに、オレンジ、空色、黄色。
少し右にも赤、緑、と
「パイ缶」(完全に死語か?)ぐらいの容器が積み上げてあるのは
緑茶や玄米茶 などの入れ物。
ウイスキー風のボトルは くまのプーさんの大好物、 蜂蜜
僕の場合は なかなか減らない。のどが痛くなった時ぐらい。

少し右手の小さめの瓶はオーイ専用
(だったけど、今はお母さんにあげたので机上にはない)朝鮮人参」
??
一見それらしい真っ赤な箱だったが、
ハングルのかけらも見えなかったし どこまで本物やら……。

急須やら何やらをうずたかく積み上げてあるのは、
実は、 アリさん対策 で、
お皿に水を差して、アリ対策の「外堀」を構築 している次第。
ただ、見る間に蒸発が進むので、水の補充が大切。

急須は、「内堀」たるお椀の水に漬けてあるから、
アリさん対策としては、まずまず というところ。

手前の大きめの湯飲み は、下の娘が生まれる前から愛用している茶碗で、
二十年あまりの間に、僕と共に五つの職場を転戦してきた貴重な茶碗。

確か、
十一月一日という結婚記念日が ちょうど「すしの日」に当たるらしいというので
「新居」近くの「寿し徳」さんに一家で出向いたりもした、
その「寿し徳」さんの、開店一周年記念か何かで戴いたモノだ。
あはは、二十有余年、よくも割れずに来たものだ。

寿し徳さんは とっくに店じまいしておられるが、
小さい店ながら、おいしいお寿司屋さんだった。
今年の十一月一日は、日本で迎える確率が高い。
久しぶりに、
なんとか踏ん張って営業している 回転しないお寿司屋さんでも探して
食べに行ってみるかな?
もちろん!「すし定食」か何かどまりだけれどネ。

写真右手の 黄色い繭玉のようなものは
先日プーケットの出稼ぎから帰ってきたオーイのご両親からの
お土産の砂糖菓子
ごらんのようにお堀を巡らしてないと、
あっという間にアリの山に!



◆『「クマのプーさん」を英語で読み直す』という本をもうすぐ読み終わる。


英語には英語の、
タイ語にはタイ語の、
日本語には日本語の、
その言語・文化をふまえなければ味わえないおもしろさ というものが
あるんだなぁと、
あらためて思い知る。

石井桃子さんの訳本が そのおもしろさを何としてでも日本語に移し替えようとしている
痛々しいほどの努力の跡が 初めて見えて来るのだが、
なかなか原文には勝てませんよね、桃子さん)

いつか そういう日本語教材を発掘することが出来、
それを日本語教室で実際に投入してみることが出来、
その「教材」を外国人の学生諸君が面白がってくれたりしたら、
こっちも 嬉しいだろうなあ……。


◆ それにしても、
プーさんを初めとする動物たちのちぐはぐな会話のおもしろさに
あらためてクスクス笑わされながら、
赤塚不二夫 『おそ松くん』 を思い出すのはどういうワケだろう。
40年もの時を隔てて、
「おそ松くん」のお父さんの仕草や
チビ太やイヤミの具体的なやりとりさえ思い出したりしてしまう。
記憶に残るほど良質なギャグ!だったということなのだろうか?

◆ それから、動物たちの会話の「間(ま)」には、
ぼのぼのの哲学的?な思索の「間」を連想させるものもある。

ちなみに 僕は『天才バカボン』は 面白いと思ったことがない。
父子の顔の描き方に好感が持てなくて
「読んだことがない」というほうが正確かな。
「おそ松くん」たちにバカにされて涙ぐむチビ太の表情なんかには ぐっと来て
感情移入できていたんだけどなぁ。

ドリフターズ のドタバタも あまり面白いと思えないで来たことと考え合わせると、
自分自身の成長に伴う「世代のずれ」
というようなものがあるのかもしれない。