やっぱり 喪服 要るよなぁ……。 客死について。

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◆ 写真は先月参列した葬儀。雨天の葬儀で、みなびしょ濡れになりました。
故人は、オーイの従兄弟。(父の妹の息子。)
つまり、例の美味しい焼き鳥の村のおばあちゃん(まんなか)の息子さん。
前列で横っちょ向いている子のお父さん。
彼女は父親が亡くなったことの意味が充分にはわかってないらしく、
お客さんが大勢来てくれたのを喜んだり、
父の葬儀の撒き銭が拾えたと言って誇らしげにおばあちゃんに見せたりしていました。
その後ろに居るのが 何度も号泣していた奥さん。
故人は酒好きで 肝臓をやられたらしい。

◆ 二枚目は、
故人の冥福を祈り、閻魔大王へのメッセージとして、
故人の徳を上乗せするために 頭を丸めて「出家」した
実の娘と、甥、姪たち。
様式は異なるけれども、
カンボジアで遭遇した、ビボル君の友人の葬儀でも、
こどもが頭を丸めて 棺を引いていたよね……。

※ 所々、なにやら丸いモワ~っとしたものが浮かんで見えるのは、
霊ではなくて、カメラに付いた雨粒ですのでご心配なく。

◆ あ、そうそう。
この遺影のバックに縞々が見えますね?
多分、身分証明書のものを引き延ばしたのでしょう、
身長を測る140,150,160という目盛りが付いたままでした。
でも、顔だけすげ替えて羽織を着たように見せかける日本の遺影のほうが
遙かに不自然でしゃら臭いかもしれませんね。
どちらがお好きでしょうか?
ぼくは、どうせ飾るなら
いかにもその人らしいスナップ写真なんかの方が好きなんですけれど。


◆ それはそうと、
ノンルアの葬儀では遺族でもジーパンだったりしたことだし、
オーイは白服でもいいと言ったけど、
こうやって並ばされて見ると、くっきり浮いちゃって。
やっぱり、黒い喪服 要るよなぁ……。
(アムナーチャルンのFさんは、もうお持ちなのでしょうか?)

それと、スーツ。
なんと言っても事実上の「無職」なんだから、
「就職・面接」のためのスーツくらいあっってもいいよなあ。
このあいだ撮った証明写真は 結婚式用の銀色のタイ服で撮りました。
あはは。
「客死」について

明鏡国語辞典(初版2002)』 で「きゃくし」を引いてみたが出てこない。
アレ?
と、ちょっと不安になって
小学館 日本語新辞典(2005)』 で引くと出てきた。
「かくし」とも言うようだ。
そうか、本来は「かくし」なのか?

そこで再び『明鏡』で、
「かくし」を引いてみたら出ていた。しかも
「きゃくし」とも言うことを明記してあるが、
それなら「きゃくし」も立項してよ、『明鏡』さん!

ちなみに「しきゃく」と「しかく」についても、同様であった。
「しかく」も「しきゃく」も「せっかく(刺客)」の慣用読みだと言う。へ~ぇ。
でも、「しきゃく」も立項してよね!

『角川国語中辞典(初版1973)』 には両方出てきて、
しかも、「かくし」の方に「→きゃくし」参照指示がある。
「きゃくし」に軍配を上げているのだ。ぼくの語感と一致する。
少々古いとは言え、さすが の風格。
(と言うか、味方してくれてありがとう!)
重いのをタイまで持ってきて正解だったな。あはは。

※ その一方で、
ずうっと長い間 ぼくの一番のお気に入りである2冊、
『角川新国語辞典(1981)』 にも
『旺文社国語辞典(改訂新版1986)』 にも、
「きゃくし」が一切出てこない。「かくし」だけ。残念だ……。
とすると、『明鏡』は、これよりはマシか?

◆ もう一つ ちなみに、
両語形がちゃんと立項されていた
『日本語新辞典』内にも
ちょっと不可思議な ずれ がある。

「きゃくし」…… 旅先、★特に、外国で死ぬこと。かくし。「父はロンドンで客死した」
「かくし」…… 旅先や外国で死ぬこと。きゃくし。「パリで客死する」

「ロンドン」と「パリ」の違いはご愛敬。
(むしろ、両方に同一の用例では 逆に「お手軽」すぎるよね)
だが、その用例の作り方から、語義の説明まで、
微妙~にだけど、別々の辞書みたいじゃない?

「特に、」! と、読点まで付けて「外国で」を取り立てているのでは
語義上の価値判断に 明らかな異同があるかのようである。
ここは両語形とも、語義説明は一致させねばならないのではないか?

それとも、
もしも、「かくし」の方は外国でなくても良いのだという見解ならば、
用例を「パリ」ではなく「道後温泉で客死する」ぐらいに
正々堂々と「旅先」設定すべきだろう。

◆ いろいろ書いたが、
つまり、「きゃくし」で引ける国語辞典のほうが少ないのかもしれない、
ということかな。
(ははは、まさしく それだけのことでした。)


牧場物語余録

◆ オーイの兄(故人)の元妻の
現在の夫君(イギリス人)の連れ子
(白人男性。二十代か?
先日、コンケンにある彼らの家にお邪魔した折には
ベッドに寝たきりで、ゆらゆらと手を振って歓迎してくれた)
……が 昨日 亡くなった。

今日は葬儀なのだが、オーイたちは出かけてない。
オーイは朝からせっせと販売用の料理作りに余念がない。

※ そうそう、きょうは昼食に、
(国王在位60周年祝賀のために各国の来賓 を迎えるタイ皇族たち の映像をテレビで見ながら)
長男エー君手作りのラープをおかずにカオニャオを食べた。
いや~、美味しかった。もう既に 一流だなあ、あの味付けは。
名古屋で食べられるラープなどは 足下にも及びますまい。

◆「離婚」「再婚」後も こども(孫)たち共々(夫君も彼女も」)
ノンルアまで一、二度訪ねて来たり、
こちらも訪ねて行ったり と、
いろいろと興味深いつきあい方の実態ではあるのだけれど、

さすがに、
「その また 連れ子」の葬儀にまでは親近感が湧かないのか、
それとも、看病に疲れたか 長兄の末期を待たずに家を出てしまった彼女への
複雑な思いが やはりあるのか、
「健は行きたいか?」と ぼくに下駄を預けようとする。

『……いや、
行き たい? かどうかと言えば、別に行きたい!とまでは思えないし、
ありていに言うと、ぼくの中にあるのは
タイ在住の白人は どういう葬儀を選ぶのか? という
野次馬的な興味に過ぎないよナ……。
それと、コンケンに出るついでにフランスパンでも買ってこようかな、
……てなもんだよ 』と思って、
「行かなくてもいいよ」と、妙な答えをしておいた。
その結果、参列しなかった次第だ。


◆ それはそうと、まあ、もし ぼくが「きゃくし」したような場合には、
イサーン方式の仏式で葬って、お寺の庭に埋めておいてくれればいいですよ、
関係のみなさん。多分、お金もそうはかかるまいしね。
※ イサーン方式の葬儀 → http://blogs.yahoo.co.jp/sanukmark/18345648.html?p=1&t=2

◆ それに、子供らには、ずっと以前から
「父よりも長生きせよとだけ遺す 健」 と ちゃんと?言い遺してありますし。