ほんとうに豊かでした 【再録】

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◆ 今回の研修の報告に先立ち、先ずは 4年前の文章から
ほんとうに豊かでした 2002.3.6 健(48歳))
  2002年 部落解放 愛知県共闘会議 タイ研修報告

タイから帰って以来、 《豊かさ》 について考えてみることが一段と増えた。
例えば車を運転しながら、こんな奇妙な輪っかを握って
俺は一体どこへ急いでいるのだろうか?
こんな自分の一体どこが《豊か》なのか?
「誰」より豊かだというのか?‥‥という具合だ。

研修中にも、
垣間見たバンコクのスラムにおける暮らしぶりが
あまりに自分と相似形で、

自分自身への哀れみなどを感じてしまい思わず知らず苦笑した。

ふるさと伊予の言葉(自分の母語)を心の奥底へ畳み込み、
名古屋の土地柄になじめぬままにも関わらず「終身ローン」の家に住み、
やれケーブルテレビだ、インターネットだ、携帯電話だ、教育投資だ、生命保険だと、
ありとあらゆる名目の金の取り立てに素直に応じ続けている、
経済大国ニッポンの四十八歳の×××の目には、
タイの農村こそが掛け値無し!本当に豊かに見えた。
バンコクのスラムに流入する人々の六割がタイ東北部出身だという、
そのタイ東北部の暮らしぶりが‥‥である。


実は僕は、研修後半の自由な数日間をタイ東北部で過ごしたのだが、
農村は間違いなく《豊か》であった。
体感していない人々にどう言えば伝わるのだろうか。
ポーカーで言うならフルハウス、恐れ入りましたのレベル。
果樹やその他の恵みもあるので、
半世紀ほど前の日本の農村ののどかさを三乗して絵に描いたような豊かさだった。

見渡す限り何の囲いもない大地で、人も犬もシャモもアヒルも、
おんなじように子どもを連れてケコケコわいわい笑い合う。
おばあちゃんは誰からも敬愛されつつ、ハンモックに揺られながら孫を眺めるのが仕事。
食事ともなると、
(「宴会」はおやつも含めて一日に4、5回ある)
ご近所の人も含めて十数人が寄って来て、
誰のともなくゴザの上に置かれたお櫃のモチ米を
各自で好きなだけつまみ取っては、
誰のともないお皿のおかずと食べてゆく。
言葉なんか通じなくても実に楽しく、これでおいしくないわけがない!
当然僕も東北語で「さぷらいどぅー」の連発。

ソムタンスープの皿の中では、
ついさっき子らと一緒に泥池ですくって来た小エビがおいしそうに飛び跳ねていて、
ハエは追うけど殺しはしない‥‥。

農村のあの豊かさをあえてうち捨てさせて都市へ都市へと追い立てる、
(そうして僕をも追い立てた)
なんとも抗しがたい 経済的圧力 とは、一体何物なのだろう。
そしてそんなモノとセットになって付いてくるあれこれなんて、
なんと哀しい文化であろう。

例えば研修中の行く先々で、
僕らはいつも一人一人、かわいい花を付けて頂いたよね。
アレだけでもう、僕など負けた。

まさに、 『生き直すべきは、僕たちだ!』。

そうして幾たびも幾たびも、
心のこもったうつくしい水を出していただいたよね。
雨の降らない乾期のタイで幾たびも幾たびも差し出された、
あのうつくしい水を、
こともあろうに拒ませようとする哀しい文化を、
どうやら僕たちは生きているらしいのだ。