ヴィエンチャン王「侵攻」の年
ヴィエンチャン王「侵攻」の年
◆ 新年早々、自分にとっては かなりうれしい話。
お陰で、プリンターが紙を全く送ってくれなくなっている気の重さも半減。
鳥インフルエンザが押し寄せて来ても 打ち勝てそう!
(ロシアンルーレットのような もうけ主義の毒薬 タミフルなんか、さようなら~!)
昨年暮れに 放送大学のテキスト担当者宛てにメールで問い合わせをしていた回答が届いたんですワ。
それだけのことが 何でそうまで うれしいかというと、……
1) 著者が直々にあれこれと調べ直してくださった 様子も推察され、
何よりありがたいことだったし、
2)自分の持った 《疑問》が、的外れでは なかった こと、
↑↑《これはうれしい!!》
3)また、その「原因」についての自分の考え方が
(たまたま にせよ) 妥当な線らしい こと、
↑↑(ま、これはテレビの「猿知恵クイズ」が解けた快感に近い)
4)今後 東南アジア史を読む場合の 一つの「大切な留意点」 を知り得たこと。
これで 不用意な類推をいくらか避けうることだろう。
5)『あ~、この著者たちを、 どちらも共に 信じて 良かった。
ブログに(一つは) 嘘を書かなくてすんだ らしい。』
……という安堵感も うれしさの一つだな。
◆ 具体的に言うと、
昨年12月21日付の僕のブログの記事中の
【1827年 】 という太字で記した年代が正しいのかどうか?という話題。
→ http://blogs.yahoo.co.jp/sanukmark/20862718.html?p=1&pm=c&t=2
12月24日付けの絵本写真《ゾウのページ》の末行にタイ文字で記載されている年代表記は、
冨田竹二郎『タイ日大辞典』と一致していて、タイ年代で 【2369年】 。タイ数字の読める方は「ゾウさん」をクリックしてみてください。
→ http://blogs.yahoo.co.jp/sanukmark/21102144.html?p=1&t=2
2369-1827=542
『 ……あれ?
西暦とタイ暦とは、「543」年 ずれる筈じゃないの? 』
……という疑問。
あはは。 あくまで 趣味の世界 です……。
《 研究者向きねと君も言うんだね 健 》(旧作)
◆ 以下↓↓、僕からの問い合わせメールなど。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
件名: 『東南アジアの歴史』への疑問 健
◆ 52歳の万年学生、●● 健と申します。
◆ テキスト『東南アジアの歴史』(桜井由躬雄)の181ページに
ヴィエンチャンのコラート侵攻が「1827★年」となっているのですが、
私の持っている 別の2冊の本では(共に西暦ではなくタイ仏歴表記ですが)
「2369年」となっており、これを543年分 差し引いて単純計算すると
【1826★年】ということになり、1年のズレ?が生じます。
タイ本来の「お正月」は今で言う「4月」だということも聞いておりますので、
西暦1827年の1~3月なら、タイではまだ前年1826年(2369年)
なのかな?
それとももっと別の理由か?
……などと 考えたりしますけれども、
勝手に解釈するのもどうかと思い、
今このメールを書いてみているところなのです。
自分のブログで このテキストの面白さや
この事件を取り上げていることもあり
できれば真相を知りたいと考えております。
http://blogs.yahoo.co.jp/sanukmark/
◆ 桜井由躬雄先生に お取り次ぎ願えないでしょうか?
失礼いたしました。
■■■■■↑↑ 以上、僕からのメール引用 終わり。■■■■■■■■■
■■■■■以下↓「著者からの回答」転送メール ■■■■
(担当者の氏名)様
拝復、新年もよろしくお願い申し上げます。昨年12月28日にお問い合わせの件
につき、回答いたします。
ヴィエンチャンのアヌ王が、コーラートを攻撃した日付は、おおむね1827年の新暦
1月で一致しています。(たとえば、もっとも権威あるHistroical Dictionary of
Laos,The Scarecrow press,London,1992,7頁)
この月日は、シャムの暦(現在のものとは違います)では2369年にあたります。こ
れより一部のものに、西暦で単純に543年をひいて1826年とする記載があるのだと思
います。(たとえば、同朋舎『タイを知る事典』)
同事件は、西欧人の見聞者も多
くあり、まず暦変換上の間違いはなかったと思います。
桜井由躬雄
■■■■■■↑↑ 以上、回答メールの引用。■■■■
……西暦の1月ということは、 ちょうど今頃 か?
アヌ王は、稲を刈り入れ、腹も兵糧もいっぱいで、
おまけに農民は農閑期で人手も集めやすいこの時期を選んで出陣したのかも…。
それにしても、
桜井氏は「アヌ」王と言い、冨田氏は「アヌウォン」王と呼ぶ。
あの「ウォン」は ひょっとしたら、漢語の「王」と関係あるのかな?
……未詳……
★ 諦めずに一応読み進んで(或いはスクロールして)
今 ココをご覧の方にだけ、井戸端談義。
★ この『タオスラナリ』の絵本の絵について。
→ http://blogs.yahoo.co.jp/sanukmark/20862718.html?p=1&pm=c&t=2
→ http://blogs.yahoo.co.jp/sanukmark/21102144.html?p=1&t=2
よく見ると多くの人が二刀流なんですワ。
勿論! 表紙の タオスラナリも二刀流!
他の頁でも彼女は二本振り回しています。
(東南アジアの?) 剣法 について蘊蓄のある方、どうかご教示よろしく!
現在も タイでは左利きがやたらと目に付くし、
ある時はスプーンが右手でフォークが左、
またある時はその逆手、と、
右利きか左利きかを問わず 両手を臨機応変に使い分ける人が実に多い、
……そんな傾向が昔からあったのでしょうかねェ……。
宮本武蔵は右利きでしょ?(勘だけど…)
それに大刀と小刀じゃなかったか知らん。
この絵本ではどちらの刀も長そうだよね。
今後、お寺その他の壁画や戦闘シーンにもご注目を……。 あはは。