『タイ日大辞典』 冨田竹二郎著

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◆ 1枚目。オーイの宝物。
皆既日食下のタオスラナリ像。
確かに珍しいし カッコイイ!

◆ 2枚目。オーイの宝物。
毎年3月23日はコラートで戦勝記念タオスラナリ祭り。
オーイ心酔……。

◆ 3枚目。健の宝物?
『タイ日大辞典』「ブタ」の項 クリックで拡大可。



冨田竹二郎著『タイ日大辞典』という辞書がある。
この辞書は、すごい!そして面白い!更に、ほほえましく可笑しい!

 隅から隅まで、
『これは純粋にワタシ個人の手による辞書だ。文句あるか?!』
といった造り。
 だいたい、
冒頭の文法解説、凡例、タイ語辞典略史!などの部分45ページを除いて、「辞書」本体部分が1730ページだという本の、
それに続く「付録(分類別、日本語引き、ラテン語学名引きの動植物名語彙)」が 549ページ もあるのだ。

 生物分類学者でもない限り 使うアテもないのに
この辞書を引く度に、鉄アレイのように《550ページ分》付いてきて
いちいち重いだけなので、
自宅の この辞書の「付録」部分は、
(ブ格好ではあるが)切りはずして本棚の隅に眠らせてある。

定価2万8000円 もするのであるが、
辞書好きの自分らにとっては、自宅用、出先用と 2冊買っても惜しくはない出来栄えの、実戦的で信頼するに足る立派な辞書でもある。)

 仮に この「付録」部分を「別売り」にでもしたら、わざわざ買う人など居ないのではないかなぁ。(言い過ぎていたら、ごめんなさい!)
 せめて、<最初から《別冊》仕立ての「付録」に出来なかったものなのか、と
深く深く思う。
そうすれば、この付録をよく「使う」人??にとっても、使い勝手が向上しするだろうに。
 僕なんか別冊仕立ての方が1000円高くても そっちのほうを買うかも。
…… いや、 やっぱり、安い方を買って自分で切り取るな……あはは。

  《単語》 レベルなら、僕の引く語彙ぐらい知れているので、他のもっと安い手軽なものにも出ているのだが、 《連語》《慣用句》 となると、
この辞書(か、 松山納著の『タイ語辞典』、『簡約タイ語辞典』 )の出番である。
 とにかく、僕が引く「絵本」程度のものなら たいていの熟語・連語も必ず挙げられている。

 ただ、2万8000円もの出資者として「欲」を言わせてもらうと、
この辞書の 最大の欠点 は、確かにどこかには挙げてあるはずの、その連語、或いは見出し語自体の意味区分 ↓△覆匹、 捜しにくい コトだ。

命がけでこの辞書の改訂に心血を注いだという旨などを淡々と記す「あとがき」「によると、少なくとも最初の原稿段階では《タイプライター》によると書いてあるので、版組みに そうした限界性が残ってしまっているのか?とも思うレベルの《捜しにくさ》がある。
 例えば、見出し語自体以外には、一切 ゴシック体が使われていない事実とか、どこからどこまでが第◆第の意味あいなのか、時々妙に判然としない、などといった体である。
 内容をいじるまでもなく、最近の辞書組みに通じた人がのこの見やすさだけでも徹底的に追求すれば、辞書史で言って軽く10年分くらいは画期的に使いやすくなるのではないかと信ずる。

  それでも この辞書を手放せない理由 の一つに、
信頼するにたる充実度もさることながら、
事物、人事、歴史などに関する解説・用例の詳しさ、個性、面白さなども捨てがたい! という点がある。

  「タオスラナリ」の説明なども23行にも渡っており、
「ラーマキエン」など引こうものなら、延々まる2ページに渡って「あらすじ」が載っていて、
しかも、その語り口が……
「トッサカンはコーブット仙の弟子で神通力を有し、心臓を抜いて師匠に預けていたので死ぬ心配がないため、誰をも恐れず悪逆非道、姿を天人に変えては天女を犯し、象に変えては雌象を犯し、魚に変えては魚女を犯すという始末」
……「ハヌマーンは化けてトッサカンになりすまし彼の妻モントーを訪ねて美女の肉体を存分に楽しんだりしていた」
……「(ラーマ王は)モンクット王子がわが子であると悟り、仙人の庵に入り、シーダー姫に詫びを入れ、よりを戻してくれと懇願したが妃はうんと言わない」
……といった語り口で語られる。

 勿論、その合間 合間には、登場人物、行事、役職、事物のあれこれにタイ語表記が付けられてゆくという念の入りよう……。
 このあらすじを1回読んでいるだけでも、なんだか興味を引かれるし、
ワットプラケオの回廊壁画の一部がちょっと判ったりするかもしれない。

(以前、僕がお土産に買ってきた布きれの図。
猿にオッパイを揉まれていた美女は、
コーカイ(タイ語の子音表)で言うトーなモントー(モントー夫人の )だったのかしら??)

 本書の当初の原稿には、各項目毎に さぞかし長大な解説文が数々あったに違いないと推察されるほどである。
(動植物の学名集を「付録」にするくらいなら、こっちを原稿のまま入れて欲しかったな、ホント…)

  実は 《用例》も奮っている!
 今すぐには的確な事例を思い出せないが、
昨日引いた単語で言うと、「 女性のように大胆だ 」とかいう用例?があった。
(なるほど……。異論はない。)
 男女観、友人との関係など、果たして 著者80年の人生経験 の どういう体験に基づく実践的用例文であるのか、興味津々の用例が多い。
 
  หมู MUU(ブタ)など引き比べてみると、正当派?(ふつーに立派な辞書)松山納辞書の4~5倍の紙面を費やして説明が展開されている。
 おそらく松山辞書も、《実用!》的には充分な項目と用例が挙げられていると思うのだが、この辞書は、「何故そう言うのか」、「誰が言うのか」、「こんなことも言う」、「その料理の作り方、食べ方」にまで言及する。

※ 以下では タイ文字、発音記号類は適宜省略する。詳しくは写真をクリックして拡大画面で読んでいただきたい。

 《↓以下のような「説明」は、松山辞書には無い。
カモ 」、「邪魔をする」とさえあれば実用上は充分なのだ。》

  冨田辞書 曰く、

……ブタは弱く扱い易く、また食ってうまいので、転じて「だまされて金品をまきあげられる人。”カモ”。楽々と勝てる相手;<修飾詞※>簡単な。容易な。」
※ 冨田氏は 形容詞、副詞を立てないで修飾詞を立てる。
……MUU KOORAAT《コーラートのブタ》(俗)”ネギを背負ってきたカモ”、”カモ・ネギ”
……TOM MUU《ブタを煮る》(俗)(土地不案内な人などを)カモにして金品をまきあげる。単にTOM(煮る)ともいう;
……(慣)《人がブタを担ぎ上げようとすれば、天秤棒をさし込んでじゃまをし、(夫婦が抱き合おうとすれば、中へ割って入る)》<名詞>他人が今まさに何かを入手しようと、又は成功しようとしているときにじゃまをする人。
……MUU TANG <名詞>豚の肉、固い脂身と皮を油で揚げるか、交互に串刺しあぶり焼きしたもの。タレをつけて野菜と共に食べる。
……MUU TWWN《ブタが目をさます》<動詞>だまして金品をまきあげようとしていた相手がそれに気付く。
……MUU NAAM《水ブタ》【動物】PHAYUUN(ジュゴン)の異名。
※ これを松山辞書では「セイウチ」としている。
  今 確証は無いが、こと動植物名で冨田氏を疑うには蛮勇が要る。あはは。
 手元の別の「日タイ」辞書によると「ジュゴン」の項は無いのだが(そりゃまあね!)「セイウチ」は2冊にあり、一冊には「アザラシのようだが牙がある」など生態と形状の説明があり、一冊には《海の象》との言い換えが出ているが、どちらにも《水ブタ》という表現は無い。

  オー!そうだ、 こういう時にこそ、鉄アレイ「付録」を使わないとね。
生まれて初めて使うよ、おい。
  ジュゴン……PHAYUUN, NAANG NGEUAKT 学名 Dugon属dugon
(なるほど、「異名」と言うだけあって、《水ブタ》自体は出てこない)
  セイウチ……CHAANG NAAM (水の象) CHAANG THALEE(海の象)

……MUU SOM《すっぱいブタ》<名詞>豚のこまぎれ肉を酢でしめ、塩味をつけ、チマキの如く葉で巻いたもの。
ナコーラーチャシーマーの名物。(西北方方言)★แหนม★
                               ↑↑ ※
※ 僕と同程度の タイ文字初心者へ。さて何と読むのでしょうか?
(実は昨日コンケンの食堂で「ヘーノムって何?」と読み間違えて笑われたばっかり)
家族へ。これ、こっそり持ち帰って近所にもお裾分けしたヤツだよきっと。あれ、やっぱりナマなんだねぇ。「北方」と言うより、もっと広くイサーン一帯の料理だよ。
 
……MUU PEN YAA MAA PEN PUU《豚は祖母、犬は祖父》(回教徒はこのように言ってブタを食わずイヌを飼わない)。
……MUU SIIAM <名詞>《シャム豚》華僑の商人がタイの人をくみし易いカモと見くびって言う潮州語の”暹猪 ”Siam-tuの訳語。
……MUU MUU(俗)<修飾詞>いともたやすい。

と、
このような説明が延々と並んで