女性英雄 タオスラナリ

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ちょっと長めの前置き

◆ 最近、どうも意気が上がらない。(あ? ずうっとか……あはは)

 だが、さすがに時間は充分にあるせいか、 読書、思索 の方面としては、なかなか面白い発見にも恵まれている。

 その一つが、 『東南アジアの歴史』 なる本(放送大学のテキスト)なのだが、
この本は、僕が見てきたチェンライとノンルアの相異ぶりなども、鮮やかに概説し分けてくれた。かなり納得!

 「東南アジア」を地理的に区分する中で、
北方チェンライ方面は「熱帯照葉樹林」、
東北部イサーンは「高原」
バンコクあたりは「デルタ」。
 こうして区分けしてみた時点で、もう既に水の具合が運命づけられている。
「高原」は水が地面より低いところを流れてゆくので灌漑が困難なのだ という。
なるほど~オ!わかる気がする。

 13~14世紀ごろ、タイ語系の方言グループ毎に大きなムアン(国家?)が形成されてくる。
 その一つが、北方チェンマイ中心の ラーンナー王国
(ラーンは百万、ナーは田んぼ。 百万枚の田んぼ王国 !)
もう一つが、ラオ語を話すラオ人の ラーンサーン王国
(こっちは、ラオス語でゾウが「サーン」。 百万頭のゾウ王国
ゾウは強そうだけど、名前からして、地域の性格が判る気がするでしょ?

 で、この北のラーンナー(田んぼ)王国が
15世紀ごろ、地域のアイデンティティ形成のために、
上座仏教と既存の精霊信仰とを複合させて、独自の ラーンナー仏教 を生み出すや、
ラオスの方にまで広がり、文化的な均質性を持つ地域を作り出してゆく。

 この均質性が生まれたからこそ、
ラーンサーン(ゾウ)王国は 一時期ビルマに占領され てからも
独自のラオ文化圏を形成してゆく復元力?を持っていた、
かのようなニュアンスで、この本は書かれています。
ビルマって、すごく拡大した時期があったんですね)

 余談 と言っていいのかどうか、
東南アジア全体の「地域の均質性」ということを考えると、
意外と日本にまで及ぶ気がします。

 この本はまた、
オーイたちのように、
見るからにラオ人の風貌を持ち ラオス語を話すイサーン人 が、
どういう歴史的経過で
自分たちを ラオ人ではなくタイ人だと思いこむに至ったのか 等々を
結構な説得力で 絵巻を見るような展開で説いてくれます。
……安心してください、その話は、ますます長くなるので書きません。
(以下の記述は、あくまでも僕個人の「理解」であり、著者の責任ではありません)

◆ さて、やっと タオ・スラナリの話。
※ 冨田竹二郎『タイ日大辞典』をお持ちのかたは1534ページ สุร- の項をお読みください。絵本の概略が語られております。

 オーイなどに、
ラオ語を話して、ラオ人の顔だし、…ラオ人でしょ?」と言うと真剣に怒られます。
イサーン人を含めて、タイ人たちは、「ラオ人の国家、ラオス」に対して、ちょっとした「憎しみ」さえ持っているように思います。
(ついでですが、ビルマにもね!論評は控えますが「国防意識」のスリコミはかなりのものです)

 かつて、シャム王国(後のタイ王国)の支配下に服属しつつも、
18世紀末から19世紀初めにかけて、現実にラオ民族はメコン川を越えて南下し、ラオ語でラオの文化で暮らしていました。(僕も今、その食事文化の中で暮らしております。現に今夜のおかずの一つはメコン川で捕れたプラーソムという大きな魚の切り身のぬか漬けでした。美味しいけど、ちょっと塩が効き過ぎ気味)
 1827年 。このイサーンを含むラオ「民族」の地域をシャム(タイ王国)の支配から解き放ち「統一」しようと考えて進軍してきたビエンチャン軍(考え方によってはこれは民族自決》のための行軍 )を《侵略者だ》と決めつけたのは無論《シャム王国》でした。
 当時のイサーンのラオ人たち自身は、どう考え、どう行動したのでしょうか、僕には定かではありません。ビエンチャン軍がどう扱ったかにもよるでしょうが、少なくとも同じ言葉を話す民族ですからねぇ。シャムの言葉はわからないが、ラオ語は判る……。
  ビエンチャン軍は一時コラートまで (つまりはラオ文化の土地イサーンの最南部まで、 目的通りに )進軍してきたのですが、これを「撃退」するきっかけとなったのが、今もコラートに銅像が建ち、タイ王国すべての人びとが《救国の英雄》としてその銅像にワイ(礼拝)をする、女性英雄「タオ・スラナリ(女性戦士という意味)」という人物、つまりは《シャム王国》の支配機構下の 「コラート副知事夫人」でありました。
 このラオ人自身による民族国家への「統一」失敗を契機に、ビエンチャン王国は力を失い一段とシャム王国の支配に服すこととなり、やがてはシャム王国の独立を守るために切り売り的に「権利放棄」(割譲)されて、白人(フランス)の支配を受けて……ラオ民族は「分断?」されたまま現在に至るわけです。
ビエンチャンへ行くなら、朝食は道ばたの屋台のフランスパンとコーヒーでどうぞ!あの、大丈夫かいなと思うほど練乳だらけの濃いコーヒーとフランスパンは、病みつきになりそうな魅力があります。実は今、今日コンケンで買ってきフランスパンをかじりながらこれを打っています。えへへ。
ビエンチャン仕込みの職人でもいるのか、日本の下手なパン屋よりずっと美味しいフランスパンです。
外は適度に固く、内は弾力があり、
味も、今このように何も付けないで齧っていても まるまる一本いけそうなぐらいです)

 さて、
タオ・スラナリは、確かにラオ人を撃退してシャムの領土を守った、
タイ王国の英雄 ですけれど、果たして(ラオ人であるはずの)イサーン人にとっては、英雄なのかどうなのか……。
 現在の このラオ民族の「分断」的状況が「民族の不幸」なのかどうなのか、それは僕には判りかねます。
 別の話になりますが、僕の知人であるモンゴル系中国人も、中国から独立してモンゴルに合流しようとは考えないようでしたしね。経済力の格差も大きいんでしょうね。

 話はだいぶ飛びますが、明治の始めごろには、一方的に武力で日本の支配に組み込まれたことに抵抗感を持っていた旧琉球王国の上層部・知識人たちは、「日」・「清」戦争の時には、むしろ長い間の「宗主国?」たる清国(中国)が日本をやっつけに来てくれる日を待ち望んだのだと言います。……それから半世紀後には、戦争であんなにひどい目に遭わされはしたものの憲法9条の国」だからと、件の「日本」への「復帰?」を選び取るに至りますけれど。

 この本、東南アジア諸地域の風土と歴史、歴代の「国家」というものを
冷静に見ている視点が(僕には)新鮮で 素晴らしい。

 若い頃には、「変革」というようなスローガンに目を奪われもしましたが、
世の中を的確に《解釈》するだけでも 充分に意義深い。
そうした、世の中に貢献できるだけの力を持った、本物の《学者》というものは
無駄飯を食っていない、世の中に 本当に必要なんだな……、
というようなことを考えながら読み進めている次第です。

 さて、この、東南アジア史の本、いよいよ、大日本帝国の登場にさしかかっています。
大日本帝国の侵略が、東南アジア史に何を投げかけたか、
植民地からの解放運動、民族運動と共産主義勢力との兼ね合いが どういう流れの中のものとして どう記述されているのかも楽しみです。

そういえば、
オーイ(39歳)の本名は、
共産主義系の名前だったから」という理由で 一度正式に「改名」手続きをしているはずです。
いったい何があって、改名が必要な事態になるほど共産主義が このイサーンに浸透したのか?
……たしか、名前はお坊さんが付けるんじゃなかったか~?
大戦の20年後に生まれたオーイに共産主義系の名前が何故?
そうした謎も解けるかな??

◆ 写真、2枚目のものは、
牛車に積んであるビエンチャン軍の弾薬に点火して敵の防衛隊長と共に自爆死した
もう一人の英雄乙女 ルアさんの場面です。
…日本でも、また、そのうち こういう絵本が出始めるんだろうか????

◆ 写真、最後の一枚は、
オーイが毎晩 これに三拝し お祈りしてから床に就く、
在りし日のタオ・スラナリさんの写真です。
江戸時代の写真だよ?
写真に蘊蓄のある人、写真っていつごろからあるの?


◆ 追伸:
 犬のパンダーが昨日 出産しました。
子犬は5匹でしたが、一匹は、今日寒さのためか 死んでしまいました。
 今朝、見に行ったときには、パンダー自身も、
自分の掘った土の巣穴でぶるぶる震えていたから、
何か かぶせてやってね!とヌンのお母さんに頼んで
コンケンに出かけたのだが、遅かったか……。
(昨日 今日、本当に寒いんですわ。日本ほどではないですが)
 コンケンから帰ってきたら、
骨折子ヤギのギプス、誰かが外しておりました。
大丈夫なのだろうか……。
「当人」は まだ ぶら下げ状態で駆けております。

 コンケンの本屋さんでは、どうやら仕入れの時期らしく、
そこらじゅうに ごっそり積み上げて配架しておりました。
 またまた 絵本を買ってきました。
値段の高い本は一応 見送って……、それでもオーイが呆れる合計1500バーツ。
(幸か不幸か?1500バーツしか持って行ってなかった)
結果的に、15冊中、5冊が韓国の絵本。(でも、タイ語です。)
韓国の絵本は、絵にそれぞれ味があって 素敵です。
詩的な絵、とでもいうのかな、個性も、迫力もあるよなぁ。
じ一っと見ていても飽きない絵の絵本が多いです。
 意匠の独自性 自体では引けを取らないとしても、
タイの 絵本 レベルは、残念ながら
2,30年は遅れているんじゃないかな。

 聞く限りでは、ビルマラオスは、更にぐっと遅れているんでしょうね。
タイの普通の家庭もそうですが、経済的に、「絵本どころではない」んでしょう。
大体、ノンルアで余所のことは言えません、本屋さんが無いんですから。

 もう一度、韓国の本屋へも行ってみたいなあ……。
韓国