享楽について

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そうか。今や「交際」という言葉はSEXそのものを意味するのか……
URL:http://www.ne.jp/asahi/jtu/aikoso/m285.htm
やがて(すでに?)は「○○さんと交際中」などという発言は、吐けなくなるのだろうか?

 『ブッダの言葉(スッタニパータ)』第36詩に
「《交わり》をしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがって この苦しみが起る。愛情から禍いが生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。」とあった。
 ここで言うパーリ語の「交わり」とは、(サンスクリットでは単に「接触」を意味する単語で、また後世の注釈によれば、)人と「会う」こと、人の「声を聞く」こと、身体で「触れる」こと、「おしゃべり」、「享楽」の5種類だとされている そうである。

 かつて、(《本来の自分》が性欲に支配されることを懼れて)手を繋ぐことすらしないままで 結婚について話し合った、自分にとって初めての《男女交際》を思い出しつつ、この5項目の重みを知っている自分であることを静かに確認する。
  「会う」こと、「声を聞く」こと、「触れる」こと、「おしゃべり」、「享楽」の5つ か…。なるほど、たしかに愛情が生ずる、な。
 この場合の「享楽」というのは、何かの学習会で同席している事実だとか、一つのリンゴを分け合って食べたりすること以上のものでなくてもいいのだ。

 思うに、ブッダの時代の修行者も、かつての自分も、新しい時代の若者どもも、三者三様に 異様 ではあるが……。





 丸い茄子 ノンルアの市場にて





◆ 1枚目。 丸い茄子。

◆ 2枚目。 白菜は小ぶり。

◆ 3枚目。 インゲン?菜の花?……

 2枚目の 小ぶりの白菜も含めて だが、
3枚目の野菜たちも、通常は 生で齧って食べる。

 こちらの人が知っている日本語といえば、
まず、「サクラ」「アジノモト」「サケ」「サシミ」、
そうそう「ツナミ」。
「クボタ」「トヨタ」「イスズ」……と続く。

 イサーン人も川エビ(や小魚)、牛の肉は 火を通さずに食べるくせに、
日本人は なんと魚を 生で食う! というので不思議がられているようだ。
 刺身の文化は、単純に「海辺に近いから……」では なさそうに思う。
もしもそんなことなら、世界中に刺身文化が育ちそうではないか。
 日本で生まれ育った人なら判るように、
刺身の味は、単なる醤油味などではないし、口当たりが全て?でもない。
同じイカにもマグロにも、うまい不味いがあるわけで、
我々は確かに 魚介そのものの味 を味わっているのだ。
 それと全く同じように、
イサーンの人たちは、野菜そのものの持っている味をおいしがる文化を育てているわけで、
それぞれ、
調理前の魚には 味わうべきレベルの味が無い、
ドレッシングが無い野菜は 味わうべき存在ではない、かの如く思い込んでいる文化とは、遙かな異なり具合を見せているわけだ。
 あの青臭い味の、あの青臭さこそが、何とも言えず、おいしいらしい。
僕にも最近、少しだけ、美味しい菜の花と不味い菜の花の違いが判り始めたかもしれない。

とは言うものの、
こちらでは、日本の緑茶の味は、それほど好評ではない。
コンビニで売っている、日本文字まがいで「おいしい!」「緑茶!」と大書してあるモノを飲むと、
紅茶に砂糖を入れる如く甘~くしてあるので、日本人好みではない緑茶となっていたりもする。


◆ 4枚目。 無論、味の素。

 そんな、青臭さの違いが判る彼らに、
だれだ!アジノモトをこんなにまで広めたヤツは……。
タイ人は、おい大丈夫かと思うほど ガンガン味の素を使う。
◆ 5枚目。 別品種か?

 熟れただけなのかどうか、黄色めの茄子もあり。こっちの方がちょっと細長めだよね。