お葬式(7) 人型の儀礼、埋葬

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お葬式 (7)人型の儀礼。埋葬。


◆ 1枚目。 参拾弐枚の1バーツ貨幣。

 オーイの話では、
右目、左目、鼻、口、……、という具合に
この32枚の1バーツ貨幣を、きちんと置いて葬ってあげないと、
死後の世界でその部分が無いままになってしまうのだと言います。

 僕が知らないだけで、日本の習慣にも存在するのでしょうか?
人体の32カ所 という数字。
……或いは、地方によっては……?

 盲人や聾者、歩けない人などにも 同じようにするんでしょうか……。
ちょっと気になりました。

 タイ人は(おそらく)「貧困や身体障害は前世の不徳・悪業の結果」であると考えているのだろう、と僕は認識しています。
 だからといって「蔑んでいる」のかというと どうもそうではない。

どちらかというと、僕を含めて大多数の日本人たちの方が障害者を遙かに《特殊》視し、慇懃無礼に見くびり蔑んでいるように思います。
  前世 からの《因果応報》を固く信ずるからこそ、結局、現世の《その人には何の責任もない》!ということもタイ人たちには、 自明の理だからなのではないかなぁ。
 当人も周りも、文字通り ふつ~に付き合っているように見受けます。
それはもう、びっくりするほどです。
 日本では、いくら親しいからと言っても、脚の動かない友達と並んで座っている時に 突き転がしてふざけたりしないのではありませんかねぇ。或いはそういう現場を見たら、正義を振りかざして「たしなめ」たりするんじゃないでしょうか。
 どうも、タイでは、そのあたりが、 子ども同士のように自然 です。

 障害者であること自体は 不便 ではあっても 不幸ではない、 というような《空気》を感じます。
(行政の問題としては、「空気」では済まされませんけれどね)

◆ そうそう、先日、チョムちゃん(小4)に日本語の点字を教えてあげた時のこと、彼女が「友達に 耳の聞こえない子がいる、二人いる」と言います。
 学校に2人なのか、学年に2人なのか、ちょっと聞き漏らしましたが、これはもう、日本の完敗でしょう。
 こんな田舎の小学校でも聾の子どもが通えるということ、その 選択肢が存在する ことの何と自然なことか……。
 「学校」、「休み」、「好成績」「最悪~」などという小学校実用タイ手話の単語をチョムちゃんから教えてもらいました。

 ちなみに、「学校」は、右手を左肩に置いて 日本手話の「お先に~」が指二本になったような形(学校でこうして何か誓うような習慣でもあるのでしょうか?)、「休み」は両掌で表した「本」を閉じる動作でした。

 坂●さんに買ってきてもらった タイ手話の本は日本に置いてきてしまっているので、確かめることは出来ませんが、おそらく「我流」の身振り手振りなどではなく、全土に通ずる共通手話なのではなかろうかと推測します。

 以前、バンコクの南の方で、その「通り」の露店一体がずらーっと聾者の店、という通りに出くわした事があります。「日本」とか「ゾウ」とか、相互に異なる いくつかの手話単語も教え合って会話?を楽しみました。

そもそも 我流の「手振り」などでは 生活できるものではない! ちゃんとした 母語たる手話 をどう保証するかが問題だろう と僕は思っています。
 また、日本で「神話」化されている「読唇」術なるものが、
仮に 日本語では或る程度有効だとしても、
-k -t -p 入声末子音を持つ「単音節」言語であり、
音の抑揚で語義が全く異なる《声調言語》であるタイ語
では、
その「読唇」術なるものも 有効なわけがありません。

 その友達たちは、どこで手話(彼らの母語!)を学んだのでしょうか。
どういうシステムで手話を学び、どういういきさつで 普通の小学校で学んで居るんでしょうか。
一体 どういう考えの どういう親たちなのでしょうか……知りたいものです。
 いつか チョムちゃんに その友達を紹介してもらおう。
 ちょっと忘れかけていますが、日本手話の単語も教えてあげよう。面白がってくれるかな?

◆ 今、『タイの僧院にて』(中公文庫 1976年)という本を読みかけています。文化人類学徒が半年間タイで出家した顛末記なのですが、
いやー、ちょっと面白い。

 本というものは、どこかで三十年間 眠っていても、ある時 ある人に「ピターっと来る時期」というものがあるんですね、不思議に。
本と人との間を取り持つ《司書》という仕事の本来の醍醐味も、このあたりにあるのかも知れません。

 その本の中に、いよいよ出家するという段階で「タムクワンตาม ขวัญ」という儀礼があると書いてあり、 魂(守護霊)を召喚する儀礼だとあります。(立ち読みするなら60ページ)
 曰く、「人間だけ一人で僧になることはできず彼のクワンも一緒でなければならない。これは元来はバラモン教儀礼であったのだが、……」と。

 そこで、この 人型 も、「クワン(魂)」と関係があるのか?とオーイに訊ねてみたら、「無い」との即答。

 「クワン」が居なくなるからこそ人は死ぬのだという。
 いろいろと訊ねてみたら、少し判ってきました。

「クワン」が居ないと人間は生きられない。
人間が眠っている時には「クワン」は人間を離れてあちこちへ「遊びに行くไป เที่ยว」。
「クワン」が自分から離れているかどうかは自覚できないのだけれども、「クワン」が体を3日間離れると、人は死ぬのだ、ということでした。
なにやら『源氏物語』などの 生き霊 の世界を彷彿とさせるような話ですね。

 …となると、ここに在る亡骸は「クワン」の抜け殻、つまり(「クワン(魂)」の乗り物とでも言うべき)単なる「肉体」なのでしょうかね……。
では、来世に生まれ変わるのは、「クワン」なのか、それとも この「肉体」の方なのか?

 とにかく「クワン」は3日以上前にどこかへ行ってしまっているので供養のしようもないわけで、せめて「亡骸」のほうは 来世で困らないように、32カ所、きちんと送り届けてあげましょう、ということでしょうか。

◆ 2枚目。 埋葬直前の読経。

 その意図は判りかねます。
仏縁を込める?のでしょうか、
それとも来世での幸せのために、
あるいは地獄へ堕ちないように と、
遺族が功徳を積んで死者の功徳ポイントに積み増ししている事実を閻魔大王宛てに報告しているのでしょうか。

 手前のトタン板にはちゃんと線香を立てるための穴が開いていたりして、
結構よくできていました。
32枚の1バーツ貨幣を供えた骨灰の人型の上には、出棺の際に棺容器に載っていたものと思しきタライが載せられていて、
その中には、
巾着袋型にくくられたお骨入りの白布が見えています。、
(これには木綿糸が付けられて僧侶の手に繋がっていますね)

 この一つ前の段階で、この木綿糸は長く長く伸ばされて、
ジグザグに絡め取る格好で参列者全員に繋がり、みんなが 一体となって 死者を送る読経に唱和します。

タライには その他、
金色の(値札付きの?)骨壺、
何やら白い封書(手紙?)入りの花束、
死者愛用のモノだったのでしょう、「康」字の刺繍のある黒い野球帽などが
供えられています。
(その底の方のモノは確認できませんでした)

 つまり大きな骨も小さな骨片も、全て ここにまとめられているわけです。

 一番手前にあるお盆は、死者のための食事です。
主食のカオニャオ(もち米)と、おかず、コップの水などです。
最終的には、これはご自宅の仏壇に持ち帰って供えられていました。

 僧侶のイスの向かって左に花が生けてありますね、
小さいですが、これがこの場の祭壇です。


◆ 3枚目。 お骨の埋葬

 残念ながら、
うろうろしていて、埋める現場そのものを写し損ねてしまいました。
 僧侶の持つ木綿糸が 地中の 巾着袋型に括られた大きめのお骨に繋がっています。

 埋め戻した墓あなへと みんなで垂らしているものは、
またしても です。(市販の飲用水ボトル)
 
 右後方の白い半袖シャツの男性の左腕が 中央の男性の左腕に伸びて
受け取るような形で肘のあたりに添えられているのが判りますか?
 イサーンでは、お祝い事でも、葬儀でも、木綿糸に直接触れない場合でも、
《繋がっている》というイメージと動作を大切にします
 白いシャツの男性の後ろの女性の腕も伸びていますね。向かって左の男性に繋がっているのだろうと思います。彼女の そのまた後ろの女性も、誰かに手を伸ばしているはずです。

 僧侶たちの後方に、赤い煉瓦の焼き窯棟と、その通風口とが見えています。
骨灰を受けるトタン板は 通常 この穴の中に敷かれているモノです。
 人型の骨灰は巾着袋と共に 墓あなに埋められています。
 (骨壺の分は、お寺にとどまります。)

 左手奥には参列者群が読経の時のまま 座っています。
埋葬そのものに関わるのは、本当に身近な親族だけなのでしょう
(あれ?そういえば、今日は誰一人 喪服じゃないですね……)


◆ 4枚目。 埋葬後のご自宅の仏壇
 この赤い色彩は、この家独自のものなのかどうか、定かではありませんが、
例えばこれが中国映画なら、てっきり婚礼だと思うような色彩ですね。

 一番上には王様と王妃様の額縁。
これが葬儀に際して付け替えたモノかどうかは判りかねますが、
新たに購入するというようなことはないでしょう。
せいぜい家屋内での移動でしょうね。

 窓側の座布団などは、僧侶たちをもてなした際の名残です。
僧侶を呼んで食事していただくのも、
死者が地獄へ堕ちないように、来世で幸せに生きられるようにと
功徳ポイントを上げる手段なのです。


「お葬式」の項、終了です。お疲れ様でした~。