お葬式 (6) 埋葬儀礼

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お葬式 (6)お骨の埋葬儀礼

◆ 1枚目。 「墓あな」を掘る。
 この穴を何と呼ぶべきか、ちょっと ためらいましたが、 お骨が納められる場所である からには、ということで「墓あな」としました。

 焼き窯の台車をガシャガシャっと掃いて大きめのお骨を集めたころ、
さて次の準備は……という感じで始まった作業でした。

 この 地点 は、「お葬式(4)」でも触れましたが、
焼き窯棟のすぐ裏手です。「
裏手」と言うと、まだ「少し離れている」というニュアンスがついてきますねぇ…。
 そうではなくて、出棺の時に焼き窯棟を3回まわったコンクリートの通路の 《道ばた》 です。

 熱帯のノンルアにも が来て、後ろに見えているバナナの幹も意気消沈ぎみの顔色をしていますし、木々も葉っぱを落としていますね。

 このごろ 田んぼや畦道を歩くと、いろんな種類の 草の実 が服にびっしり付いてきます。
 野原で一日 草をはむ 山羊や牛の喉もとや背中にも草の実が付いてくるので、時々取ってやるんです。

 さて、墓あな。

 オーイの話だと、みんな 《ここ》 (焼き窯棟の周辺、という意味か?)に埋めるそうなので、
鍬の先のあたりに パラパラっと見えている白い断片は、ノンルア村の先達たちのお骨なのでしょうか。


◆ 2枚目。 親族がお骨に水を掛けます。

 台車から一つ残らずお骨を拾い集めた、あの白布です。

「清める」のかどうか、僕の知識では その意図は判りかねますが、
親族が代わる代わる何杯も水を掛けると、
白布のお骨の間から黒い灰の色が無くなっていきます。

 タイ語で「思いやり」のことをナムチャイ(気持ちの水)と言いますが、
これはそういう単語とも繋がるものなのかも知れませんね。
 タイでは、水はとても神聖で大切なものとして扱われているように思います。
4月のタイ正月(ソンクラーン)に水を掛け合う話は有名ですが、
あれも元々は(と言うか、今でもそれ↓↓を欠かしません!)
各家庭の仏像や、両親や祖父母の掌 に対して 花や香りを付け加えた水 を掛けて感謝を捧げる儀式の対象が広がって行ったもののようです。
 
 結婚式でも、水を受ける形に開いた新郎新婦の両掌に参列者が次々と水を掛けてゆきます。
(ずうっと座って掌を差し出したままなので、多分、あれも重労働なんじゃないでしょうか)

 場所の確認ですが、左上の方、自転車のところに、参列者が線香と木片とを手向けに上がった 見覚えのある階段が見えますね。
 写真の一番手前には、コンクリートの通路の端が見えています。
墓あなは、このすぐ手前、この写真がきれたところにあるんです。

 ※ お葬式とは関係ありませんが、お寺内の この「回廊」、
通路延長のための普請現場で指を広げて測ってみましたら、
このコンクリートは厚さが20センチもある頑丈なものです。

◆ 3枚目。 続いて僧侶たちがココナツの水を掛けます。

 これも入れ替わり 立ち替わり、ココナツ一個ずつ掛けてゆきます。
一人一人の想いが込められているように感じながら 見ました。

 ちなみに、お坊さんの 立ち位置 ですが、
白布を持っている二人の人物のうち、向こうの男性に 心持ち近いですよね。
 僧の黄衣が女性や女性の衣服に触れただけでも、それまでの全ての修行が「振り出しに戻る」という戒律と 無縁ではなかろうと思います。

 バスの中でも、人混みでも、まともな僧は 女性との接触を避けますし、
女性側でも必要以上には 僧に近づきません。
 僧が庶民に 例の 腕糸を巻く時にも、糸を結んだ後で、
男性には呪文をすり込むような仕草で手首を撫でさするのですが、
女性には、手首に糸を掛けて垂らすだけだったり(女性は自分たちで結ぶ)
肌に触れないように注意深く「遠巻き」ふうに結んだりしても、撫でさするようなことはありません。
 
 お寺の中で白い衣装の「尼さん」を見かけることがありますが、
彼女たちも、
タイ王国の政治制度と一体化したタイ仏教界では、正式な出家者とは認められなくなっており、
(ものの本によると、当然?ながら かつては女性修行者も存在した)
黄衣の僧と「場」を一にすることは無いはずです。

 ついでに、 ココナツの味 について一言。
 僕が始めてココナツジュースを飲んだのは、
「沖縄の観光地」か何かが最初ではなかったろうかと思うのですが、
『おー、これがあのものの本で読んだココナツジュースか~。』と
感激しながら飲んでは みたものの1口か2口で 不味くて気分が悪くなり、
白い果肉を食べる どころではなく、腹まで壊してしまいました。
 その後は、誰かに勧められても、
極力「味見」程度でお茶を濁してきていたのですが、

 先日、チェンライへ行く途中の国道沿いの店
(半分露天のようではあったがココナツ山積みの専門!店)で食べたココナツジュースの美味しかったことと言ったら……!
 まぁ、トラックの荷台で熱い太陽に照らされ、ガタゴト揺られて、
いい加減 閉口していた体にピッタリだったこともあるのでしょうか、
キンキンに冷やされて 売られていた、そのココナツジュースの水分は勿論のこと、
白い果肉も、殻をかち割って 指爪でスルスルっと剥けるので、
残さず平らげてしまいました。
『もう一個買っておくんだった……』と思ったくらい。
  教訓:ココナツにも、食べ頃がある!
 不運にも 最初に 不味いココナツにあたってしまった皆さん、
諦めずに挑戦してみてくださいネ。


◆ 4枚目。 タイの骨壺。

 「壷」ではありませんが、この金色のものが、取り置かれるお骨の容器です。
これは埋められずに、
(当面は?)お寺に安置され祀られるもののようです。
そういえば このあと伺った時にも、ご自宅の祭壇には置かれていませんでした。

 「これが のど仏」「これが何……」というふうに集められている様子ではありませんでした。(今となってはそれは無理でしょう)

 なお、この金色の骨壺の 蓋 に 儀礼の最後まで! 値札 らしきものが貼られたままであったのが、何より印象的な事の一つでした。
……ほら、蓋の端っこ、
写真で言うと右上の方に何やら白と青っぽいのが……。

 タイ人は そんなこと には拘らない ようなのです。
何が その「そんなこと」なのか は、段々に、うすうすとは 判ってきましたが、一口には言い表しにくいです。
……そこに値札があるからと言って、
何か支障がありますか???

 そうかと思うと、
パンツやTシャツにまで及ぶ 衣服のアイロン掛けとか、頭の臭い、汗の臭いには異常なまでの敏感さ、こだわり、美意識を持っていたりもします。
まさしく、 《異文化》

 去年の暮れの大津波で多数の死者が出た時、YAHOOのネット掲示板には、(それこそ日本人臭い ↓↓?)
「観光客からボルからだ、いい気味だ」系に始まって
様々な「タイ人総体への非難、悪口雑言」が載せられていて驚きましたが、
その中に、
《自分の子どもが死んでも「また作ればいいや」ぐらいに思っている》などという事を書き付ける日本人が居て呆れてしまいました。

 その人がどこで何を見聞きしたのかは判りませんが、多分、
「また作ればいいや」という日本語では表しきれない、現代の日本人にはもう(?)見えなくなった、人間臭い死生観、哀しみを振り払うための智慧が、この人には見えなかったのだと思います。

 日本語で言う「また作ればいいや」ではない。断じて違う!
そんな人類は居ない!(政治家や行政関係者以外には)

 十二世紀の『今昔物語』には、洪水に遭った際に、流される母親と我が子と、先ずは どちらを救うべきか?という話が出ています。
意外?にも、この件では『今昔物語』当時の哲学には 迷いが無い。
 当時の「正解」は、議論の余地無く「母」であり、
その理由は、「子どもは また持てる」からでした。
(「また作ればいいや」ではない。)

 そうした「子ども」観は、つい半世紀前、戦前の、どこの家にも たくさんの兄弟が居て、多くの家で そのうちの何人かは成人前に死んでいたような時分にまで繋がってきていたようにも思います。

 天皇の軍隊による残虐非道な数々の仕打ちをどう受け止めてきたかという問題で、
『わぁ、この人は (我々日本人のようには)恨んでいない ! ……』と、韓国人や中国人証人の中の《赦す文化》に驚いた経験などもあります。
 サリン事件の被害者である 河野さん の言動などにも、それと似たような感性を感じますね。

 ※ でも、もしも「値札」じゃなかったりしたら、この文章、笑えるだろうね。
だから、値札らしきもの だっちゅうの! あはは~。