お葬式 (5) お骨拾い

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「お葬式(1)」で以下のように説明しました。
  http://blogs.yahoo.co.jp/sanukmark/18345648.html?p=1&pm=c
> ◆ 1~3枚目。 焼き窯棟。 全景と、窯の正面と、裏の空気取り入れ口。
> この建物自体が、言わば 大きな七輪 のような構造になっていて、
> 裏に回ると 空気取り入れ口 兼「小さめの骨灰」掻きだし口となっている。
> このトタンの真上で炭火による火葬が行われる。



※ この「お葬式(1)」の2枚目「台車」と3枚目「灰受けトタン」の写真は 葬儀翌日のものです。

お葬式 (5) お骨拾い

 
◆ 1枚目。 火葬の翌日。【再掲】

 火葬の翌日も、遺族の自宅では朝早くから食事を振る舞い、
宴会状態が始まるようです。
僕らが8時に行った時点では、モンコンさんたちで、もうだいぶ賑やかでした。

 僕は日本流に考えて、
お骨は既に前日のうちに どこかに納められているのだろうと
勝手に思い込んでいましたから、
ひとしきりご飯やビールをいただいて いい気分になった頃あいに
何やら数人が声を掛け合って立ち上がり
僕にも一緒に行こうと誘われましたが、彼らの会話内容が判らず、
どこへ何をしに行くのか判らないまま 一応 ついて行きました。

 タラタラと歩いてお寺の中の焼き窯棟に到着。
焼き窯棟の脇には、
前日の葬儀で使った小道具や生花の花輪その他が
焚き火のような形で焼却処分されて半焼け状態で残っていました。

 何をするかと見ていると、
焼き窯棟の扉を開け、台車を引き出します。
(実は僕は この時点では、興味をそそられつつも、
酔っぱらいのイタズラ?だろうと思っていました)
その時の写真が、「お葬式(1)」にも挙げた2、3枚目の状態です。

 お骨拾いは済んだもの……とばかり思い込んでいた僕は
『ありゃ~、残りは「捨て」てないんだ』などと思いつつ撮った写真です。

  骨壺に入りきらない《大半のお骨》 を焼き場に残してくる日本の流儀には
以前から なにか納得しきれないものを感じつつも、
焼き場の職員さんに「お任せ?」してきていましたから、
タイではどうするのだろうか?
まさか酔っぱらいの餌食では…?
と ますます興味津々でした。
……ホラ! 台車の横に
タラタラ歩きながらも ちゃんと持ってきたビールが写っていますよ。


◆ 2枚目。 大きめのお骨。

◆ 3枚目。 台車の形。落とされた小さめの骨灰。

 実は、最初 骨灰を火箸でつっつき始めた時点では、
まだ イタズラだと思っていましたが、
白布を台車のレールに敷いて、台車の底の桟から灰を落とし始めて、
ようやく葬儀の一環なのだと判りました。
(もっとも、まだ 残余の骨を「捨てる」作業だと思い込んでも いましたが)

  火箸で、ガシャガシャガシャ… と底の桟のあたりをつつくと
小さい骨片と灰、消し炭の類が下に落ちます。(3枚目)

台車に残っている 大きめのお骨を
竹箒で かしゃっ かしゃっ と集めます。

そうして台車に残るのが、2枚目の写真のような、
少し大きめのお骨だけとなるわけです。


◆ 4枚目。 先ずは僧侶によって拾われます。

◆ 5枚目。 続いて遺族が拾います。

 広げた白布にお骨を拾いながら
僧侶は遺族に向かって何やら説明していましたが、
残念ながら、内容は判りませんでした。

おっと、言い忘れるところでした。
お骨は残さず拾います!
(大きめのお骨を拾い集めた この白布を覚えていてください)

 このお坊さんは 一見 いかつい顔をしていますが、
僕を覚えていてくれて、
僕を見かけると とても明るく、若い娘が恥じらっているような印象の笑顔を送ってくれるお坊さんです。

 もうお一人、ノンルアのお寺のトップの住職さん
(オーイたちは お寺の「お父さん」と呼んでいる様子です)も
僕を覚えてくれていて ほほえみかけてくれますので
まぁ、万が一、この地で死ぬようなことになっても、
日本のように 縁もゆかりもない銭儲け坊主に
「一節いくら」の おざなりのお経を浴びせられるよりも
ずっとずっと気持ちのこもった読経で送っていただけることだろう
と、妙な安心感を持っております。
 
『ああ……、 ひょっとしたら、僕もこうして おくられるのかな……』
などと思いながらの《取材》なわけです。


  拾う道具は、日本(仏教)では 木と竹が基本ですよね。
 神道キリスト教その他の方々は、どうなんでしょうかね?

 「エホバの証人」の方々は遺骨、遺灰などには何らの価値も認めない、
というような話を聞いたこともあります。
(ソレもいいな…)
 でも実は!
僕は、子どもの頃 随分と可愛がってくれた祖母のお骨を少し頂いて
母お手製のお守り袋に入れて、持ち歩いています。
(もちろん、タイまで来ています)
 宗教の教義として どうなのかは 定かじゃありませんが、
そんなことより、僕の気持ち ですね。祖母も判ってくれるでしょう。

 さて、道具。
 ここでは、金属の火箸も使われていましたが、基本は竹のようでした。
松葉型になるように 竹に割れ目を入れたものです。

 拾っている方々の 腕の木綿糸にもご注目を……。

(う~む……、珍しく?左利きが写っていない 。あはは。)


◆ 6枚目。 骨灰で人型を描きます。

 一方、通風口のトタンに落ちたり、
台車の下から掻き集められた小さめの骨灰ですが、
トタン板の上で 《人型》に整形します。

 判りますかねぇ、
こちらが両脚で、
あちらに頭や 両腕が脇に垂れている形なんですが。

 このあと、この人型が儀礼的に活用されます。
想像ですが、土葬時代の名残り、代替物なのではないでしょうか?
そうだとすると、
このあと この人型が在る場所には、
かつては 遺体そのものが置かれていた のではないかということになりますね。