お葬式(4) 出棺
お葬式 (4) 出棺
◆ 1枚目。 僧侶群に先導されつつ、
冷凍機能つき容器のまま、出棺です。
右手の建物が、僕の言う「講堂」。
左手に見えているのが、既に言及した花輪ですから、
焼き窯棟と安置講堂とは10メートルも離れていないことがお解りですね。
今、写真を見てから気づいたのですが、
冷凍容器の上に 水色の何やら タライのようなモノ が載っていますねぇ。
故人ゆかりの品々ではないかと推察します。
(さすがに もう 電飾は外されています)
そのタライから垂れている木綿糸の束 が、イサーンの伝統的な行事では欠かせないブツでして、
このように、僧侶の手によって結界が張られたり、
地縁血縁の絆を保証するモノとなったり、
ケガや病気の回復を願う「元気玉」収集機能だったりもしますし、
(7月19日の「ペム君の誕生日」写真参照)
http://blogs.yahoo.co.jp/sanukmark/7351369.html?p=1&t=2
結婚式などでは、新郎新婦を終生結びつける意味の絆であったり、
参列者からの祝福の印であったりもします。
だから、結婚式を終えた新郎新婦の腕は、
みんなから祝福の言葉と共に結ばれた糸のために、
まるで太い「糸巻き」のようになっています。
しかも!
この糸は刃物で切っては駄目で、
本来、3日目に 引きちぎる ことになっているようなのですが、結婚式のも同様なのでしょうかね?
だとすると、えらい重労働になることでしょうが……。
(どうなのでしょうか?経験者のFさ~ん、どうでしたか?)
イサーンのちびっ子たちは、ふと気がつくと、
よくこの腕糸(ファイ・プーケーンとか言うんですが)をしています。
きっと親たちが、すくすく育つようにと、
お守りも兼ねてしてやるのだろうと推測しています。
ヌンちゃんなどは、多分、コレをしていない時がないと思います。
ちびっ子の写真が出てきたら腕に注目してみてください。
さて、お葬式。
◆ 2枚目。 先導する僧侶たち。
先導する僧侶たちがこの木綿糸で「数珠繋ぎ」になって歩いているのが判りますかねぇ?
左手に見えている赤煉瓦の焼き窯棟の、
ちょうど棺が通っているがわに例の「空気穴」が開いております。
この翌日の話になりますが、
今回の場合(だけ かどうかは未詳です)、
お骨が埋められることになるのは、
画面の中ほどに見えている木の根もとになります。
その左にあるバナナの位置まで行かないあたりです。
服装については前にも書きましたが、
いつになく黒っぽい服が多い……かな?という程度です。
一応意識している という事実は確認できますね。
ちなみに故人の姉妹でさえ、
上は黒のTシャツ、下は流行の穴あきジーンズ 等でした。
なんだかアタマ数が少ないように見えますが、
木陰で涼んでいる人たちも多い、ということをお忘れ無く。
この葬列が焼き窯棟を 3回まわり終える と、
棺が横手の階段から焼き窯棟正面に安置されました。
◆ 3枚目。 お線香を手向けます。
くどいようですが、右手に見える白い壁の建物がいわゆる「講堂」です。
この時は、「講堂」側の階段から順に並んで
線香と木片とを「祭壇前に積み上げる」形でしたが、
前回の経験では、蓋を開けられたお棺の遺体に対面しながら
直接木片を入れる形でしたし、
列もこのように整然とした列でもありませんでした。
最初からはお棺を開けなかった理由は、
《バイク事故の死に顔》だったからでしょうね。
いよいよお別れ!という最後ごろには開けられて
近親者たちが涙を新たにしていました。
ここでも また、なんだかアタマ数が少ないように見えますが、
やっぱり木陰で涼みながら、時期を見計らっている人たちも多い、
ということをお忘れ無く。
また、2枚目、3枚目に片腕のない方が写っておりますね。
「障害」者の状況については いろいろと思うところは多いのですが、
いずれソレとして触れると思いますので、今回は書きません。
◆ 4枚目。 棺の前の祭壇。
無理な角度だったのでギリギリで「写っていません」が、
左手が窯の入り口に当たり、右手が正面階段です
棺が(この写真で言うと、こちらに脚、奥方向に頭が向く形で)おかれていました。前回もそうでしたから、方角との兼ね合いなどがあるのでしょうか。
いかにも急ごしらえの、屋台によくあるプラスチックのイス(参列者用のものですネ)に皆さんが次々と お線香と木片とを供え ては、
右手(焼き窯棟の正面がわ階段)から降りていきました。
※ このイスの背のあたり、写真の下の方から向こうへ向かって銀色のスジスジが写っています。これが冷凍機能つき格納器の下の端です。青いバケツのあたりでギザギザに見えていますが、これが格納器の向こうの端です。
ドーナツ状の輪っかが2つありますね。
向こうの輪っかの正面(写真の右手がわ)に
彼女の遺影が飾られておりました。
そして なんと!
参列者が次々とお線香を 手向けている最中に一騒ぎ!
キャンデーやら 赤銅色の紙に包んだ小銭(多分?1バーツ)を「棟上げ式」のようにばらまきます。
前回は人に揉まれながら階段の下に居たので降ってくる飴を見上げましたが、
今回は階段上にいたので拾いに行けませんでした。
……あ、なーるほどね。あんまりどっと押しかけないで
階段下でうろついている人はこの小銭拾いも狙っているんですな。
◆ 5枚目。 焼き窯棟の煙。
あまり 臭いはしないものですね。
もっとも、そのように計算して高い煙突になっているのでしょうか。
人々が手向け終わると、僕が呼ばれて、
「遺影」の横で格納器をバックに遺族の記念写真撮影。
(泣きはらしたような、不眠の疲れのような、
皆さん さすがに冴えない顔色で写っておられます)
◆ ここからあとの事の運びは 今回初めて目にしました。
関係者以外は三々五々帰って行く(か、食事、宴会に戻る)からです。
まずは、冷凍機能つき格納器から白木?のお棺を抜き出します。
死者は普段着 で、真新しい運動靴を履いていました。
でも中学校指定の茶色のモノに見えました。
左右逆 とかは無かったように思います、ちゃんと履いていました。
日本と同じだ!と思ったのは、
両掌を組ませて縛っていた ところです。
仏像や タイ人の挨拶の合掌(ワイ)の形ではなく、
指を組み合わせる、クリスチャンが祈るときの形です。
大きめの炭をすりきり満杯に積んだ台車に
灯油か何か液体を幾びんか注ぎまして、
お棺をそのまま載せるのかと思いきや、
『ER』で患者をベッド移動させる要領で何人かで敷布を持って
遺体を そのお棺から引き上げて
炭の上にゴロンと横たえました。
その時 靴を脱がせるところも目撃!
あれは誰かが履くのでしょうかね、わかりません。
また、傷隠しでもあるのでしょうか、靴下を履かせていました。
手向けられたお線香と木片とを遺体の上に飾り付けるように配置し、
あとは遺族の皆さんが 追いすがるような涙声で話しかけながら
台車を窯に送り込み、扉を閉め、覗き窓から火を入れた次第です。
◆ その後は、 翌日 のお骨の扱いへと続きます。
おやすみなさ~い。