お葬式 (2)

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お葬式 (2)

◆ 1枚目。 冷凍装置付き《お棺》格納器。

(交通事故死である 今回の場合)
遺体は、
《焼き窯棟》の隣に立っているちょっとした講堂のような建物内に
焼かれるまでの3日間 安置され みんなのお参りを受けていました。
(仏像には3回、遺体には1回 ぬかずきます。)
後方の鉄の扉から出棺します。
焼き窯棟の「赤煉瓦」が少し見えているでしょ?

◆ 何故わざわざ「今回の場合」と断るのかというと、
オーイ曰く、
《交通事故で死んだり、殺されたりした遺体は
「普通ではない」ので
僧侶の管轄下に置かねばならない。
老衰や病気の死体のようには さわれないし、家にも置けない》
……ということらしい。
(この「らしい」というのは、ぼくのタイ語力のせい)

焼かれる寸前に拝見した額やあごには、
確かに「普通じゃない」傷がありましたけれどネ……。

その「顔」の写真はありませんが、
火を入れる寸前、
ぼくがカメラを持っているというので呼ばれて、
お棺をバックにしての「家族写真」を撮ってくれと頼まれ、
撮りました。
(とりあえずCDに焼いて差し上げましたが、
CDではね。多分まだ見れていないと思います。えへへ。)

◆ 2枚目。自宅の宴会?にて、 モンコンさん、48歳

遺族の自宅では、連日、朝から晩まで《披露宴、宴会》状態。
僕たちが葬儀の日の朝8時ごろに行った時点では、
もう20人ばかりが食事していました。
(席は、40~50席はありました)
ビール、焼酎、ウイスキー。コーラにファンタ。
カオニャオ(もち米)のご飯に、牛のラープ、鶏のラープ。
その他 トムヤム(煮物)類、いろいろ……。

※ ラープというのは、肉を包丁で叩いてミンチ状態にしたもので、
火を通したものとか生肉のものとか、血を和えたものとか、
いろいろありますが、イサーン料理の代表格の一つ。
言っときますが、ほんとに美味しい!(セープ! ライライ!)

◆ 何と言っても、お葬式ですので、
しくしく泣き崩れている人がいて、
慰めるように寄り添う人がいて……、
ただ、その傍らで冗談を飛ばし合ってヒーヒー笑っているおじさんたちが居たりするのが日本と違うところです。

モンコンさんもその一人。
全く語形変化しないタイ語混じり風「英語」で話しかけてきました。
(例えば「じゃぁ お先に失礼!」が「GO HOME!」になる類)
ただでさえ聞き取れない「英語」なのに、
これを《集中》して聞いていると、かなり《疲れる》ので
「《タイ語》で話してみてください」と言ってみたら、
「小学校4年まで勉強したけど、タイ語はうまく話せない。
英語は、シンガポール、マレーシア、クウェートイラクでも
働いていたので、少し話せるんだが、YOUは話せないのか?」と言う。
がはは……と、謝っておいた。

なるほど、 やはりこの地はラオス語圏 なのだなぁと
実感させていただきました。

彼にとっては、「タイ語」は「学校の言語」なのですねぇ。
(こうした認識は、明治維新以降の
我が?「国語」成立過程を想起させてくれます。
ガッコーで《キョーイク》されるまでは、
地方(東京でもか?)では誰ひとり「おとうさん」「おかあさん」なんて
言ってなかったわけです。)

聞けば「48歳」(僕より4つ下)だと言うので、深~く納得。
彼が幼い頃には、まだまだテレビも普及していなかったに違いなく
彼にとっては 《非母語》であるタイ語 を耳にする機会は、
学校で見聞きする以外、あまり無かったのでしょう。
ラジオですら身近にあったかどうか……。

◆ 子どもの頃は、街灯も舗装道路も無かった、
水牛に乗って田んぼで遊んだというオーイが「39歳」。
更に9年下ります。
オーイは、(時々綴りを考え込んだりは しますが)
辞書で引けばちゃんと出てきてくれるタイ語を書きますし、
僕ら日本人の来客に合わせてタイ語で話してくれたりも出来ます。
オーイたちこそが、
テレビの普及が言語習得期に間に合った、
タイ語に苦手意識の少ない)
新しいバイリンガル世代の走りなのかも知れません。

↑↑↑ この手の話は、僕にはとても面白い分野なのですが、
ピンと来ない方もいるかも知れませんね……。

《聞いて判るけれども話せない》というのはつまり、
外国人から、
「私は京都で日本語を覚えたので、
東京弁》ではなく、《京都弁》で話してくれませんか?」
と言われたときの戸惑いどす。
語彙 から、 アクセント から、 敬語表現 から なにから……
聞けば判るけれども、話せない人だらけではありますまいか?
ちなみに僕は、大阪弁も、西宮弁も、京都弁も、ちょっと無理ですわ。
辛うじて話せるんがぁ 30年前の今治弁じゃわいね。

◆ 3、4枚目。一方、お寺での 読経中。

このテントの向こうに講堂のような建物があります。
向こう正面、長方形の長い辺に沿って僧侶の座る雛段があり、
親しい人々はその前で跪いて読経に唱和してゆきます。

お経はたいていパーリ語で、
一般の人には意味が判らないはずですが、
多くの人は
リーダーに合わせて唱和できる程度には覚えているようです。

カメラの位置にも、木陰にイスが並べられており、
一緒に合掌しながら唱和する人も、
歩いている人も、エロ話を続ける人も居ます。
基本は《黒》服のようですが、
ご覧の通り、そうでない人も大勢。

なお、数珠自体は存在するのですが、
日本の葬儀のように各自が数珠を持っているというようなこともないようです。



◆ 5枚目。 冷たいもの、甘いもの のサービスあり!

コーラやかき氷、みつ豆?など、自由に飲めますし、
中学生前後の娘たちがウエイトレス役をして
座っている人に渡しに来てくれます。

間違っても、
炎天下にずっと立ちっぱなし……
(日本では、時々ありましたが)などということはありません。

みんなはコップ類をそこらじゅうにほり捨てて帰りますが、
さすがは《お寺》。
あとで 係の人が掃除して回っていました。