タイ王国の非常事態宣言と大量検挙 (その3) 一応は解除されたものの


タイ王国非常事態宣言と大量検挙(抄)
ウボン中央刑務所の「赤シャツ?」たち     ウボン日記~その7
            ウボンラ-チャターニー大学教養学部                      東洋言語文学科講師 高橋 勝幸
(その3)
「男性」面談記録のつづき…
 
男性:(617日、723日) 
52歳。ワーリン在住。日雇い。チャックトンロップ会員。525日に逮捕され、勾留されて12日になる。焼き討ち、武器不法所持、爆発物所持の容疑。519日県庁で石を握っている写真が証拠となった。その日、県庁そばの寺の前にいた。子供を2時ごろ学校へ迎えに来たのだ。銃声を聞いて、走って県庁敷地に入った。怒って、思わず地面に転がっている石を握った。火はまだ上がっていなかった。火災を目撃していない。自分も妻もムスリム。妻はナラティワート県出身。妻の先夫は軍人で国境警備のため、ワーリンの基地に異動になった。彼は妻子に対して責任を果たさなかったので、自分は彼女に同情し、結婚した。子供をもうけた。先夫との間の4歳、15歳の子と、自分との間の13ヶ月の子がいる。父親の自分が逮捕されたので、子供は学校に通っていない。誰も見舞いに来ない。電話番号もわからない。妻子は親戚を頼りにナラティワートに帰った。(落涙。両手の指を金網に絡ませながら、切々と訴えていた。)79歳の母がワーリンにいる。援助が必要だ。自分も肺が一つしかなく、持病がある。刑務所に裁判員が来て、勾留は延長された。持病を理由に保釈を要求したが、検討するとのことだ。自分は国王の色である黄色を尊敬した。しかし、黄シャツが首相府を占拠して以来、黄シャツを憎悪するようになった。自分は貧乏なので、赤シャツに参加した。母と家族の幸せを祈っている。
 
男性[1]:(617日) 
50歳。チャックトンロップのラジオ「ウボンの人民の声放送」の警備員。月給3,000バーツ(食住支給)。520日昼に捕まった。放送機器が没収された。ラジオ放送による教唆、大衆騒乱の容疑。県庁の焼き討ちについては知らない。312日から48日まで王宮前広場でデモに参加した。仕事柄、赤シャツを支持している。赤シャツの意見は正しいと思う。監房には仏像と国王の写真があり、仏を敬っている。チャチョーンサオ県出身。仕事を探しに2007年にウボンに来た。
 [1] 男性⑦は当局を訴えたが、裁判所が忙しいため20112月が初公判となる[ピチェート・ターブッダとのインタビュー、2010728]
 
男性:(617日、728日) 
26歳。ガス輸送車運転。チャックトンロップ会員(1か月)。中学6年卒。警察からの電話に応じて出頭し、そのまま収容された。516日空軍基地前、19日スタット民主党議員の家の付近にいるところを写真に撮られた。赤シャツが反対運動をしていた。仕事中に通りがかり、ちょっと寄ったに過ぎない。

 
男性:(617日) 
日雇い(小作含む)。チャックトンロップ会員。612日から勾留。焼き討ちの容疑。519日当日、自分はタラートノーイ(市場)にいた。証拠写真も似ているが、自分ではない。サンティ・アソークへの抗議運動にも行っていない。王宮前広場のデモには2-3日行った。小5、中1、中33人の子がいる。妻は腰を痛め、働けない。自分なしでは、家族は食べられない
 
男性:(617日、729日) 
40歳。市内在住。建築業。大卒(経営学部)。ノーポーチョー(反独裁民主戦線の東北タイ副責任者(ウボン、シーサケート、アムナートチャローン、スリン、ブリーラム県担当)。525日より収容。容疑はタイヤを燃やしたこと(国営テレビ局NBT前)、交通妨害、10人以上の集会参加、県庁焼き討ち、騒乱、武器不法所持証拠はNBT前の写真と言っているが別の場所知り合いの警官は「捕まえるほどの容疑ではないが、リーダーの一人なので捕まえた」と言っている。519日はウボンにあるノーポーチョーのFMラジオ局にいた。「人民を殺すな」というプラカードを作成して、仲間に持たせた。鎮火した夕方に、県庁に行った20人の証人がいるというが、誰だか、日時、場所がわからない。事実より、罪が重い。全く弁明の権利がない。県庁焼き討ちには策謀があるように思われる。何らかの合意があったのではないだろうか。当局の要請があったのではないか。というのも、当初、騒ぎを取り締まる動きがなかった。警告もなかった。予告なしに不意に銃撃を始め、集まっていた人々を怒らせた。県庁には35千の軍警がいたが、赤シャツが庁舎に侵入し、放火するのを放置していた。消防車が無かった。写真にある消防車は古く、使いものにならず、長い間放置されていたものだ。火事が起こるのを事前に知っていたように、県庁舎の近くにあった変圧器は外されていた[2]
[2] 火事の前に、庁舎内のコンピュータ、文書は運び出されたともいう[ピチェートとのインタビュー]
 
男性⑪:(617日)
シームアンマイ郡在住。赤シャツの活動に参加したことがない。警察が捕まえたのは、519日に県庁が燃えたときの写真に自分に似た男の顔があったからだ。国民証の写真と比べ、逮捕した。当日は家で仕事をしていてどこにも行っていない。証人がいる。しかし、無実を釈明する機会が一切無い
 
男性⑫:(617日)
20歳。ムアン郡在住。519日、県庁の集会に参加した。しかし、外の離れたところにいた。警察は通報者がいるという。
 
男性⑬:(617日、728日)
35歳。ワーリン郡在住。バイク修理。チャックトンロップ会員。小学校6年卒。525日から収容されている。容疑は集会への参加。519日の県庁の集会に参加した。県庁の外にいた。自分が写った写真があった。保釈を要求したが、認められなかった。勾留は2ヶ月を超え、人道にもとる。理想に共鳴して、赤シャツに参加した。祖母、妻、中3と小4の子がいる。妻一人で家計を支えている
 
男性⑭:(617日、723)
62。市内在住。廃品回収業。日雇い。チャックトンロップ会員。出頭命令に応じ、自首。611日から勾留。容疑は10人以上の集会参加。519日、県庁前でバイクの写真を撮られた。当日、集会に参加し、県庁に火がつく前に帰った。まだ裁判ない。バンコクには2回行き、20日間滞在した。疲れたり、お金が尽きたりすると帰った。お金はもらっていない。赤シャツのウドムガーン(理想)に賛同。公正が好きで赤シャツに参加した。生活に問題ない。手足が不自由である。家族いない。妹に3人の子がいる。
 
男性⑮:(722日)
29歳。建築業。警察が自宅を訪問し、逮捕令状を示した。79日から収容。容疑は 10人以上の集会参加、 5 16タイヤを燃やした、と。証拠写真に、自分の車のナンバー・プレートがあった。ピックアップである。その日、500バーツで雇われて、自分の車でタイヤを運んだだけ。5分くらい滞在した。赤シャツだが、どのグループにも所属していない。19日の集会には参加していない。赤シャツの理想に共鳴。タクシンが好き。タクシンはよい人。プアタイ党を支持。
 
男性⑯:(722日)
58歳。シーサケート県カンタラーロム郡在住。農民。チャックトンロップ会員(1ヶ月)。68日から収容。容疑は 10人以上の集会参加、非常事態宣言違反。証拠写真があった。516日に空軍基地前の集会に参加した。用事で外出し、10分だけ寄ったにすぎない。バンコクの集会に行っていない。タクシンが好き。
 
男性⑰:(722日)
59歳。農民68日から収容。容疑は10人以上の集会参加、騒乱。証拠写真があった。516日に空軍基地の集会に参加したが、19日は参加していない。赤シャツだが、無所属。タクシンが好き。タクシンは30バーツ医療政策など人民を助けた。バンコクの集会には行っていない。
男性⑱:(722日)
58歳。シーサケート県カンタラーロム郡在住。農民。チャックトンロップ会員(1年)。68日から収容。容疑は10人以上の集会、タイヤを焼く、非常事態宣言違反。証拠写真があった。516日の空軍基地の集会に参加した。519日社会開発の研修で、集会に参加していない。収容生活は苦しい。正当な権利、保釈がない。バンコクの集会に行っていない。赤シャツに参加し、政府の不正、2重基準に反対した。自分の経済問題がきっかけで参加したのではない。正義を愛し、民主主義を要求している。騒乱目的でない。雇われているのではない。自腹で、食べ物はみんなで分けた。
 
男性⑲:(722日)
63。市内在住。果物の商売。チャックトンロップ会員(半年)。証拠写真があり、自首。68日から収容。容疑10人以上の集会参加。516日、空軍基地でデモに参加。民主主義のため公正を要求。人民に言論の権利がある。赤シャツの理想に共鳴し参加。理想とは友人を助け、正義、公正と生活を保障すること。バンコクの集会には行っていない。妻一人残す。バンコクに子供がいる。
 
男性⑳:(722日)
42歳。ワーリン郡在住。車の修理工。チャックトンロップ会員(7-8ヶ月)。68日から収容。容疑、10人以上の集会参加。516日の空軍基地の集会に参加した。1回目の裁判、容疑を聞くだけ。赤シャツの理想に共鳴。不正の追及、助け合い。自転車、衣服の寄付活動をした。バンコクの集会には時間がないので行っていない。なぜ赤シャツだけ保釈が認められないのか。微罪だ。人を殺しても保釈される。政府に理由を問いたい。首相は何をしているのだ。同じ人間であり、タイ人である。老人もいる。無罪なら放免。公正を望む。収容所生活の苦しさを知ってほしい。これまでよいことばかり考え、行動してきた。友人として、誰でも困っている人を助けた。ところが、テロリスト呼ばわりだ。農民、老人に武器はない。収容は子供、家族に影響する。妻仕事少ない。生活厳しい。男の子2人。子供には会えない。学校に専念させたい。
 
男性(21):(723)
65技術専門学校教師溶接)。チャックトンロップ会員(1年)。「人民の声放送」のDJ。キングモンクット工科大学工業経営学専攻修士証拠写真があり、自首した。民主党事務所前の集会で写っている写真。非常事態宣言違反、騒乱、10人以上の集会参加、民主党事務所前でタイヤを燃やしたという4つの容疑。519日午前10時以降、民主党事務所前の集会を見に行って、写真を撮った。そして、群集が法律に違反しないように監視した。集会は民主主義と公正を要求していた。裁判は3回受けた。1回目は検察が公訴した。2回目、3回目は裁判所が容疑を読み上げた。今、弁護士を立てているところ。自分は赤シャツではない。個人的な意見だが、赤シャツとは統一戦線を組んでいる。赤シャツとは、方法が違い、不正に反対し、地元で戦っている。プアタイ党と関係ない。その援助を知らない。DJとしては、CNNBCCアルジャジーラのタイの見方を紹介した。雇われてはいない。ガソリン代だけもらった。民主主義を愛し、政府批判はしていない。教唆もしていない。事実を知らせただけ。バンコクの集会にも、王宮前広場に23日行って、写真を撮った。ニュースリポーターのようなもの。時々夜、県庁前の集会にも参加した。タクシンの政策の8割に賛同。30バーツ医療制度、1村1品運動などは貧困、人民を助けた。反対なのは私欲をむさぼったこと。民衆はタクシン政府を支持。人民に直接届く政策を実行した。経済政策も人民に届いた。貧困者も金持ちも同じ平等。私が考えるに、民衆の赤シャツ支持は私的理由より政治的理想いよるものだろう。タイにはいまだ民主主義がない。タイは法的基準が平等でない。
 
 

(つづく)