タイ王国刑務所 被収容者たちの悲痛な声 【ずさんな逮捕・拘禁】 (その1)


タイ王国非常事態宣言と大量検挙(抄)
ウボン中央刑務所の「赤シャツ?」たち     ウボン日記~その7
            ウボンラ-チャターニー大学教養学部                      東洋言語文学科講師 高橋 勝幸
 
赤シャツの民主化運動を制圧するため、政府はウボンラーチャターニー県にも2010516日夜、非常事態を宣言した。非常事態宣言の絡みで728日時点、ウボンでは男性39人、女性9人の計48人がウボンラーチャターニー中央刑務所に収容されている。この他にも、既に釈放されたが、夜間外出禁止令により、少なくとも17人が拘束された。その中には14歳未満の男子も含まれる。また、非常事態宣言違反で一人が少年拘置所に収容されているらしい
 
 因みに、
78日現在、コーンケン県で10人(内女性2人)、マハーサーラカーム県12人、ムックダーハーン県23(1)、ウドーンターニー県54人(10人)が各県の刑務所に収容され、事情聴取、裁判中の模様だ。
僕が初めてウボンラーチャターニー中央刑務所へ赤シャツの被勾留者を訪ねたのは617日(木、920-13:40)である。ウボン大学の同僚、学生、地元赤シャツ、バンコクの人権NGO6人に僕がついていった格好だ。この時には、男性20人、女性6人の26人が勾留されていた。僕らが面談したのは、男性15人、女性6人の21人である。訪問の目的は、人道的立場から逮捕の経緯、取調べの状況と勾留の状態を知ることであった。もっとも訪問した6人は皆、赤シャツのシンパで、何とか被勾留者を助けたいという思いでいた。その後、かれらは非常事態宣言解除要求の署名運動、宣伝・募金、家族との連絡など救援活動を行なっている。
 
男性の監房は広さ6m×4m24平米だという。食事、水浴び、排泄も同じ監房で行なわれている。3食付で、7時半、12時、4時に提供される。隅にトイレ(水浴び兼用)がある7時から 15時半まで隣接の仕切られた広さ60平米の草むらに出られる。座って雑談するだけで退屈だという。監房には仏像と国王の写真がある。書籍は仏教関係のみである。テレビが設置されており、1821時まで映画、歌謡番組、ドラマを見ることができる。ニュースを見ることは許されない。午後10時就寝。当初は20人だったので広々と感じたらしいが、39人になって、一人幅40センチ、頭と足を交互にして、4列になって寝ている。寝苦しい。
 
   女性の監房は他の犯罪者と一緒で、麻薬で捕まった人、エイズB型肝炎の患者もいる。他の犯罪者からは政治犯として疑いの目を向けられる。監房には蚊よけ網戸、扇風機、タオルケットがある。寝るときも消灯しない。狭くて枕の幅しかない。監房の中にあるトイレはさえぎるものがない。食事がまずく、6人でお金を出し合って買うこともある。食事の時間が5分しかないこともある。(自由な時間が少ない。一日中、交代の仕事があるともいう。懲役・研修か?)みな肌色の囚人服を着ているが、下着、生理用品が欲しいとのこと。
 
制限があるものの、家族親戚の訪問は可である[2]。弁護士等の直接面談は事前に文書で訪問相手の氏名を伝えればできる。見舞品は「危険物」を差し入れすることを防止するため、食物・衣服以外は刑務所で購入しなければならない。僕も簡単な文書を作成し、単独で722232829日の4回訪問した。刑務所の僕に対する対応は優しい。僕は焼き鳥、ソムタム、焼き魚、もち米、とうもろこし、果物、お菓子を刑務所前に並ぶ屋台で購入し、赤シャツに差し入れした。
裁判は既に78日、9日、16日に3回行なわれており、起訴されて容疑の説明を受けた者がいる。次回は82日に裁判がある[3]。また同日、国家人権委員会がかれらを訪問するという。
 
僕が理解に苦しむのは、判決前の人がなぜ刑務所に勾留されているのかである。非常事態勅令12条は容疑者の勾留について、刑務所での監禁を禁止し、勾留期間は7日を超えてはならないとし、その延長は最大で30日間までと定めている[4]

 ウボン県では728日現在、364人に逮捕令状が出されている[5]14日、僕はウボン県警を訪ねた。騒乱事件個人情報センターが1階に設置されている。25平米ほどの部屋の両壁には、手配中の赤シャツの拡大写真が張りめぐらされていた。係官が一人、机の上に積み重ねられたファイルを前に座っていた。印刷されたばかりの赤シャツの手配のポスターが数百枚積まれていた。各所に配布され、掲示される予定だ。僕の住むワーリンチャムラープ郡警にも行ってみた。ポスターが数十枚あった。24日には、県警の騒乱事件個人情報センター入り口と郡警の掲示板にポスターが張られていた。25日現在、ウボン大学前の区の警察署にはポスターは届いておらず、管見の限り街頭にも見当たらない。
 
[2] テレビカメラと電話を使った間接面談。人数の多い男性囚人は毎日面談できるが、女性は水・金のみ。面談時間は20分ぐらい。並ばなければならない。差し入れも同様に日時に制限がある。
[3] 裁判などで外に出るときは、足錠の鎖を付ける。
[4] 遠藤聡「『非常事態勅令』の法制化」『外国の立法』No.227, 2006.2, p.171.
 
本稿は人道的見地から、そして今後の研究資料として、被勾留者42人との面談記録を主とする。非常事態宣言下のウボンにおいて、赤シャツ運動の調査は容易ではない。いかなる理由で拘束されるかわからず、赤シャツは地下に潜行している。地下への潜行とは、公然活動をしていないということである。誰が赤シャツか判然としない。わかっても、今は自由に面談することは憚られる。刑務所での面談はなおさらである。その言質が命取りになることもあろう。面談相手は慎重に言葉を選ぶ。語るべきでないことは語らない。あるいは、その発言は自己弁護に走る。監視つき、金網と鉄格子越しの面談は僕にとっても緊張をもたらす。記録のデータは不揃いであるが、年齢、住所、職業、所属、逮捕の経緯、容疑、証拠、実際、その他の順に整理するように努めた。最初の訪問は手分けして面談することになっていたので、他人が面談した記録も含まれる。全員に対する面談はできていない。これからも逮捕者は増えていくことが予想される。僕は今後もお見舞いも兼ねて、対話を続けていこうと思っている。

 
★面談記録★
 
男性:(面談実施日617日) 
519日に県庁が燃えたとき、現場にいなかった。6月初旬に捕まった。入所して約1週間になる。同室に20人が収容されている。すべて赤シャツだ。狭苦しい感じはしない。食事はよい。サービスはいい。
 
男性:(617日) 
自営の商売の他、日雇い。ワーリン郡在住。チャックトンロップ(戦旗掲揚グループ)会員[6]。ほとんど活動に参加していない。69日午前8時にワーリン市場で捕まった。容疑は武器不法所持と県庁焼き討ち。県庁焼き討ちの罪は重い。武器不法所持が本当なら、なぜ現行犯逮捕しなかったのか不思議である。証拠はない。ウボンの警察佐官が取り調べた。写真を提示され、その中に写っている人物を知らないかと尋問された。写真を見ても誰も知らなかった。519日は県庁にいた。県庁舎の2階から火が出た。軍人、警官は火を消そうともしなかった。当局が人民を射撃した。保釈されたら、証人がいるので裁判で戦いたい。取り調べ、手続きに時間がかかりすぎる。監房ではニュースが入らない。仏教の本しか置いていない。監視人はいい。腹が立つことに、プアタイ党議員も職員も見舞いに来ない[7]

[6] チャックトンロップ20088月に発足したウボンで最初の赤シャツの組織であり、ウボンで最大のグループ(201058日現在会員5,562人)である。
[7] チャックトンロップ民主党を非難し、プアタイ党を支援していた。
 
 
男性:(617日) 
66。市内在住。チャックトンロップ会員。警察から電話があって、出頭を命じられた。現在、自分には10人以上の政治集会への参加、県庁焼き討ち、公共物破損の容疑がかかっている。勾留は延長され、24日間既に勾留されている。6回まで延期できる(84日間)。県庁の焼き討ち時に、庁内に建つラーマ5世王の像の東側で、自分が驚いて両手を挙げている写真が証拠になった。その日、私は県庁の外にいたが、警察の射撃の音を聞いて、子孫たち(仲間)を助けようと、敷地に入ったのだった。それまでは年寄りはみな外にいた。まだ、県庁は燃えていなかった。警察、軍、警備員が立っていた。自分は大通りに戻った。小さい火が建物からあがった。国王は関係がないので、国王の旗を柵から外して、警察に渡した。兵は庁舎を守らなかった。消防車も来なかった。100人もいれば消火できたはずだ。点火したのが誰かは知らない。県庁には放火すべきではなかったと思う。今回のデモには、312日から王宮前広場で15日間、410日から3日間ラーチャダムノーン、その後ラーチャプラソン15日間滞在した。ウボン県庁前の夜の集会にも、時間があれば参加した。人権の立場から、援助してほしい。
 
男性617日) 
63。市内在住。チャックトンロップ会員。69日逮捕され、610日より勾留。10人以上の政治集会参加、焼き討ちの容疑。519日、家にいたので、集会には参加していない。ただその朝、スタット・ガーンムーン民主党国会議員の家でタイヤが燃えているのを目撃した。県庁の焼き討ちはよくない。人民の財産の破壊であり、賛成しない。残念なことである。軍警の仕業だと思う。王宮前広場で312日から3日間、デモに参加したが、楽しかった。政府は正しくない。プアタイ党の見舞いがないのは不満に思う。
 
男性:(617日) 
28歳。日雇い614日に逮捕された。10人以上の政治集会参加、焼
き討ちの容疑。519日に現場(県庁)にいなかった。2年前に撮られ
た写真が証拠になっている。不当だ。
 
…つづく…