父が逝って まる10年

◆ 昨夜、佐江衆一『老い方の探求』を読了。
少し意見は異なっているし、さして新味は無かったけれど、
良寛さんたちの晩年の逸話は興味深かったよ。

本自体のことより、
引用されている 文語の短歌類が
(佐江さんの手助けもあって) 自分には そこそこ読める!
…ということの価値について ちょっと考えてしまいました。
今どきの若い衆は たとえば この本 読めるんでしょうかねぇ、…もったいない 。


◆ 父の死から、 明日で満10年になりますよ…。
父は もう どこかに転生しているのでしょうかねぇ……。

タイの子供にでも生まれ変わって、
ほとんど何の制約も受けずに のびのびと育っていれば
ちょっと安心ですが ネ。

当時から 既に 距離的に 離れての「出稼ぎ暮らし」だったので
思い出すべき 最期の日々も 記憶に無く、

思えば いかにも 《次男坊》らしい 勝手な生き方を
当時も 今も ぼくは続けているわけです。

兄ちゃん、みなさん、……ありがとう。
(「すみません」ではない ところが 不届き!?
 いいえ。これ たぶん、父似です、父似。責任は 半分 あちらへ)


◆ 当時作った 「年賀欠礼」代わりの葉書を一枚 ここ ウボンにも持ってきているので
10周年記念に「再録」しておこうかな。

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  父急逝

父ゆずり犬を撫でては手を洗う
お坊ちゃん育ちの父も玉子好き
ともだちの暮らしを蔑んだ父似
  年ごとに似てゆく父がまだ嫌い

親父の訃 咄嗟に射精試みる
死に顔も笑顔にあらず父らしい
父だった弾力のある父の頬
  武装解除 白布の父に添うて寝る

ふるさとのあさひあめいろ 父にさす
弔問の とっくに父の居ない友
さんざんにぼくらを愛し父逝けり
  形見無用 僕の半ばが父のもの

 あれ?まさか 空気が抜ける父の死後
 おーい父よ 母に余生をありがとう
 父のこと考えながら恥部洗う     
                健

我が子にも「つよく ただしく生きぬけ」と
        母の み声を偲び 育む   義弘

  釈義浄居士(義弘)享年78歳