【手乗りニワトリ】 先月の六日市で買ったんだから、ひと月あまりですね。(取り急ぎアップ)
◆ 六日市で買ったから、ひと月あまりですね。
もう ひよこ じゃなくなっちゃったけど、結構可愛いですよ~?
ナニかというと、ざわ ざわ ざわーっと群れたまま走り寄ってきて、
またいっっせいに バササササさーっと羽ばたき走りで駆けてゆきます。
またいっっせいに バササササさーっと羽ばたき走りで駆けてゆきます。
◆ 最近 ぼくも、驚かさないで近づくことがちょっとできるようになってきたので
そーっと手を出すと、ジロッと疑いの目を向けてから、
それでもちょこんと乗ってくれたりします。
そーっと手を出すと、ジロッと疑いの目を向けてから、
それでもちょこんと乗ってくれたりします。
そうなると、また一段と可愛いですね。
◆ とは言え、今日 また一羽 小さめだった子がとうとう死にました。
15羽だった雛が、ひと月後には12羽。
ここでは、「死ぬ」「生まれる」ということが、【日常】として生起します。
「売る」「買う」「食べる」ということもネ。
15羽だった雛が、ひと月後には12羽。
ここでは、「死ぬ」「生まれる」ということが、【日常】として生起します。
「売る」「買う」「食べる」ということもネ。
半分余談ですが、
『みんなの日本語』という アジア中で かなり よく使われている日本語の教科書は、
「死ぬ」という単語を 初級では ずうっと教えないで済ます教科書となっています。
まるで日本語には「死ぬ」という動詞が無いかのごとき「動詞活用表」が提示され、
「死にそうです」はもちろん、「死にます」も「死んで」「死んだ」も現れません。
「死ぬ」ことが【非日常】と なり果てた 現「日本」の象徴なのかも知れませんねぇ。
『みんなの日本語』という アジア中で かなり よく使われている日本語の教科書は、
「死ぬ」という単語を 初級では ずうっと教えないで済ます教科書となっています。
まるで日本語には「死ぬ」という動詞が無いかのごとき「動詞活用表」が提示され、
「死にそうです」はもちろん、「死にます」も「死んで」「死んだ」も現れません。
「死ぬ」ことが【非日常】と なり果てた 現「日本」の象徴なのかも知れませんねぇ。
「死ぬ」という動詞を教えずにすまそうなんて、
「食べる」という動詞を隠すのに似た愚挙でしょう?
タイに限らず、大ニッポン皇国以外では、通用しないのではないでしょうか?
「食べる」という動詞を隠すのに似た愚挙でしょう?
タイに限らず、大ニッポン皇国以外では、通用しないのではないでしょうか?